亡念のザムド第3話感想&備忘録「偽装 国際郵便船」
3話にしてOPまで変えて来やがったか。やるじゃないか、BONES.
曲も他のアニメには無い異彩を放っていて中々面白いじゃないですか。
最初にハルが投げた「手紙」を、ザンバニ号の中で成長していくアキユキが「人間に戻った手」で掴むというのは実に素敵。嗚呼、ジツニ、ぷりてぃぐっど。
というわけで、OPに惹かれて適当感想&備忘録再び。
「よく分からないのに、自分の意志でもないのに、気付いたらそこにいて、役割を与えられる。」というのは「生」そのものですね。つまりは、主人公であるアキユキは、ザンバニ号の中で再び生まれた事に他ならないのでしょう。 中学一年の国語の教科書だったかな、それにあった「I was born.」を思い出すと話は早いでしょう。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
「○○○○(恐らく「魂」)」は「生きたい」と願う | アキユキ(=ザムド)は「生きたい」と願う |
人が生まれるのは自分の意志ではない | ザンバニ号にいるのは自分の意志ではない |
(他者からの脅威に襲われ続ける) | ザムドは似て非なるヒトガタに食われる為に狙われる |
人が生き続ける為には考えなくてはならず、それを止めたとき死ぬ。 | ザムドが生き続ける為には考えなくてはならず、それを止めたとき石になる。 |
人はその身に「望まれずに生まれてきた命/生きたいと望みながら生まれた事を恨む自分自身*1」を背負っている | ザムドはその身にヒルコ*2を宿す |
まあ、見たまんまですね。
ザンバニ号の中にヒノキ丸という子供がいて、ユンボという母がいるように、その中で既に「家」としての側面を持っています。
伊舟さえも、単に性別が女というだけではなく、股を広げて座る、タバコを吸うなど、成人女子としての側面が強調されており、また「家(=ザンバニ号)」を守ろうとする姿は、一家の長そのものであり、「処女性」を失って「母」として機能しています。
ナキアミは、「ザムド」という望まれない生を祝福する存在であり、それを育てる技能を持っているという点で既に「母親」または「代理母」として機能しています。余談ですが、今回の第3話でヒトガタに食われた主人公アキユキを、ヒトガタの腹(まあ背中でしょうが)を割って、再度「生きたいか(=生まれたいか)」と問い直したのは、帝王切開のメタファーであり、ナキアミは助産婦のような位置づけでもあるのでしょう。
で、最後に、母親(=ナキアミ)が子供(=アキユキ)に差し出した「苦いキコン湯」を改めて受け入れるワケですね。それがまた、実に苦い。なぜなら、それが「新たに生まれた世界の痛み」だから。
主人公アキユキが新たに生まれた「家」、新たに得た「家族」の中で何を見るのかが楽しみでなりません。
まあ何はともあれ、ナキアミは美人だということですね、うん。
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だから、アキユキとナキアミが結ばれてハッピーエンドとかはないと思うよ、何しろ近親相姦になりますから。