シゴフミ第3話感想&備忘録「トモダチ」
千川大輝の父親が欲しかったのは「虐待なんかしていないという言質」、「『息子は殺されたんだ』という虐待の反証」。
「私じゃない!私は、虐待なんかしていない!」(千川大輝の父親)
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- 発売日: 2008/03/25
- メディア: DVD
- クリック: 55回
- この商品を含むブログ (38件) を見る
いずれも千川大輝という少年が死んだ真実なんてどうでもよくて、自分にとって都合のいい、自分を納得させられる「(自分に都合のいい)証拠」が欲しかっただけ。
父親は考えた。「虐待なんかやっていない。」つまり、家庭には問題が無かった。なら学校に問題があったという結論に至った父親は父親は「分かってくれるだろ?」という言葉で生徒を人質に取った。
だって、父親は「学校に息子を死に追いやった誰かがいる」と思いこんでいて、学校の全員を脅して聞き出せば「(自分に都合のいい)証拠」が分かると信じ切っているから。
だって、会ったことも無い生徒達の考えなんて父親には分からないから。
だって、「誰かが悪い」としか考えられないし、そう信じたいから。
だって、そうでもしないと父親は自分を保てないから。
でも、最後まで穏やかな声で喋っていたように父親は普通に穏やかで優しい人なのだと思います。それがあそこまで追いつめられたのが哀れでなりません。
「千ちゃんはどうして死んだんですか?お父さんなら分からないんですか?」(小竹透)
そうして、「友達にも千川大輝が分からない」、「父親にも息子が分からない」、「生徒にも父親が分からない」、「父親にも生徒が分からない」、「警察にも犯人が分からない」、「警察にも生徒が分からない」
誰にも何も分からない。
これが、一枚薄皮を隔てた「現実」の姿。
他人の考えなんて、本当は誰にも分かる筈が無い。人は自分を守る為に必ずしも真実を語らないし、嘘も付く。
しかし、「シゴフミ」はそれを覆す。「死んだ人間」が紡ぐ言葉は、そんな目先の打算を気にしなくてもいい状態になっている為に、本来分かる筈が無い「他人の考え」が如実に記されている。
しかし、明らかになった「他人の考え」は「分からない」状態の「現実」よりもなお理解しがたい。父親にも、「友達でない」生徒達にも理解しがたい。
父親が理解できないのも当然。生徒が理解できないのも当然。それはごくごく親しい「友達」に宛てた「シゴフミ」だから。
それでも、シゴフミで伝えたかった人、同じ「飛び降りる感覚」を共有し、ただ「真実」を求め、あの時の「答え」が保留されていた特別な相手だった小竹透には伝わった。
「だって、友達だから。千ちゃん、友達でいいんだよね、俺。」(小竹透)
そんな、「分かっている」という事、「トモダチ」という存在の欺瞞、その実態を描くだけでなく、「本当の真実」は逆に理解しがたいという他者理解の根本的欠陥を穿つ一方で、それでも「伝わるモノ」を描いた話だったように感じました。
おまけ
普段はこういう暗い作品の感想は書かないんですが、扱っているテーマが「自分」と「大事な人」、「どうでもいいそれ以外」と決定的に分けてしまう点が気になったので書いてみました。
私がなんで「気になった」かって?それはそれ、「分からない」という事でいいじゃないですか。
こんな感じでまた気になる話が来たら感想書くかもしれません。