最終回によせて〜「流星の双子」は「契約者が夢見た『夢』」である〜

「だって、僕にとって蘇芳は――」(紫苑・パヴリチェンコ)

DARKER THAN BLACK-流星の双子- (1) [DVD]

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はじめに

 今、私は何回目かの「流星の双子」最終回を見終えた所だ。
 「流星の双子」について語るべき話題はいくつかあるだろう。「蘇芳と黒」、「銀と黒」、「蘇芳と紫苑」といった物語の根幹を成す登場人物の関係性について、あるいは未だ謎を残す「マダム・オレイユ」、「アリエルとベレニス」。それとも、物語を彩ったマオ達か。
 しかし、「蘇芳と黒」、「銀と黒」について、私が語ろうとするのは野暮というものだろう。恋があり、愛があった。そこには家族がいた。それ以上語る言葉を、私は持たない。また、「銀と黒」については、OVAで補完がされるだろう。
 「マダム・オレイユ」については、いずれ語るべき時が来るだろうが、今は未だ、その時ではない。
 また、脇役を語るには私は雄弁ではないし大して面白くも書けない。それを読者のみなさんに読めと強いるのは酷だろう。

 ならば、私は「蘇芳と紫苑」について少しだけ書いてみようと思う。

夢見る契約者

 黒はいつか言っていた、「契約者は夢などみない」と。
 そう、「契約者は夢を見ない」のだ。たとえいくら望んでも、「契約者は夢を見れない」のだ。
 そんな「夢を見る事を願った契約者」、紫苑・パヴリチェンコと、彼の姉で「夢見る契約者」、蘇芳・パヴリチェンコの二人の物語として「流星の双子」を見ていきたいと思う。

「あれは、僕の夢じゃない。」(紫苑・パヴリチェンコ)

「だって、僕にとって蘇芳は――」(紫苑・パヴリチェンコ)

 紫苑は蘇芳を生き返らせた。
 紫苑は蘇芳に「水族館の思い出」を見せた
 紫苑は蘇芳に「普通の暮らし」を贈った

 何故なら、紫苑は蘇芳がいないと「夢」が見られないから。それは、蘇芳が紫苑に沢山の写真を見せる行為が暗喩となっていて、紫苑は、蘇芳の写真を通して見た時のみ「人間」を、「普通の生活」を覗き見る事ができた。だから、紫苑は自分の代わりに蘇芳に「普通の暮らし」を贈ったのだ。

 ところで、契約者にとっての「対価」は、「失われた人間性の代償行為」として解釈が可能。
 ならば、紫苑の「対価」と「失われた人間性」とは何か?
 最終回を見終わった今、私は紫苑の「対価」とは「(蘇芳の代わりに)契約者であり続ける事」であり、「失われた人間性」とは「蘇芳・パヴリチェンコ」だと思っている。

 紫苑は最期に蘇芳をいつものように「蘇芳」と呼ばずに「おねえちゃん」と呼んだ。それは何故か?
 それは、紫苑が「普通の暮らし」を送りたいと願っていたからに他ならない。

 それを踏まえると「あれは、僕の夢じゃない。」と言った紫苑の悲しさが見えてきます。紫苑にとって、蘇芳は「夢」だった。普通の少女として普通に暮らす「日常」、大人になって恋をした「旅」、全てが紫苑がいくら望んでも過去にも現在にも未来にもどこにも見あたらない「人間性」という「夢」。

 最終回でそれが描写された瞬間、私達が今まで見てきた「蘇芳・パヴリチェンコ」の物語は、「紫苑・パヴリチェンコ」の夢として再構築され、「流星の双子」として完成した。私はそれがとても美しい構成だと思うのだが、みなさんはどうだろうか。

終わりに

 正直な所、「流星の双子」最終回を見た時点では、感想を書くつもりはありませんでした。
 継続的に感想を書くのは、時間的にも精神的にも結構しんどい上に、大して誰も見ていないみたいだったので、Twitterで実況するぐらいでいいかな、と思って、二ヶ月ほど更新せず、コメント欄もチェックしてなかったのですが、年末に外出先からブログを更新しようと思って見てみたら、一ヶ月ほど前からコメントが溜まっている事に気付いてコメント返ししようと思ったのですが、結末を知っている状態で視聴中のコメントに返すというのは、何か違うと思い、コメントの代わりにこの記事で代えさせていただきます。
 コメントを下さったすちゃさん、T-R-Mさん、ことりちゃんさん、みなさんのお陰で感想を書ききる事が出来ました。ここは謝るのが筋かもしれませんが、お礼を言わせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。