喰霊2〜3巻感想

 黄泉姐さんがご存命(悪霊だけど)の1〜3巻を読んだので感想を書き殴ってみる。
 なお、姐さんのいない喰霊なんて、カレーの入ってないカレーライスと同じで悲しいだけなので、感想はもとより、読む予定もありません。

 で、感想。

 結局、黄泉姐さんにとって「しがらみ」を消すことを「絆」まで消してしまうという悲劇的な運命に翻弄され、悪霊になった後も、それから結局逃れられず、矛盾を抱えたまま「消えたい」と願いつつも「消えたくない」と執着して、最期の最期まで足掻いていたんだと思います。

「…でもあの時避けなかったのは
黄泉の意識がまだ残ってたからかも…
まだ…あの時なら
助けられたかもしれない」(土宮神楽)

「どこまでがオマエの意志なんだ?
殺生石の力に踊らされてるだけじゃねーのか?
だいたいその石…
どこで誰にもらった?」(飯綱紀之)
 
「よく喋る男だ…
もはや言葉は無用
どうしても私を止めたければ私を殺せ 飯綱」(諫山黄泉)

「ひとつだけ答えて…
黄泉に殺生石を渡したのは誰」(土宮神楽)
 
「私を倒せば分かる」(諫山黄泉)

 でも、喰霊の作品を貫徹する「絆」―――神楽という妹の存在が、結局は黄泉姐さんが自分自身を悪霊として現世に留まる原因になってしまったんだろうな。という、そんなトコですね。

 黄泉姐さんは、「妹・神楽」に対する愛情と、「土宮神楽」に対する憎悪という矛盾する心につけ込まれて魔道に堕ちてしまって、それでもやっぱり神楽の事が好きだったんだなぁと。

 さて、話は変わって戦術の「絆」。喰霊を読めば誰でも気づくように、頻繁に「鎖」が出て来ます。土宮神楽の白叡の封印然り、弐村剣輔の舞蹴拾弐號然り。
 それはとりもなおさず、ポジティブに捉えれば「鎖=絆」であり、ネガティブに捉えれば「鎖=しがらみ」。黄泉姐さんの変容もその二項で捉える事ができ、同様に弐村剣輔が土宮神楽に惹かれる理由であったり、土宮神楽を縛る原因であったり、まあいくつも意味しているワケなんですが、それが「不滅なる者」のラストで、土宮神楽が弐村剣輔へと白叡の鎖を伸ばして助けようとするワケですよ。正に「鎖(=しがらみ)」で、「鎖(=絆)」をつなぎ止めようとあがくあのシーンこそ、正に「喰霊」の「喰霊」たるシーンではなかったかと思います。

 黄泉は、「鎖(=しがらみ)」から自由になろうとして、「鎖(=絆)」である神楽まで手放してしまったけど、神楽は「鎖(=しがらみ)」を受け入れた上で「鎖(=絆)」も離さなかった。
 それも、黄泉姐さんとの別れがあったからこそ、弐村剣輔を失いたくないという気持ちに繋がったのです。それを最期に目に出来ただけで、黄泉姐さんも報われたんじゃないかと思います。

「死なせない…
もう誰も…
もうあんな想い…」(土宮神楽)

 というか、素人の私でもこの程度読めるワケですが、それを「喰霊-零-」という作品で補完してみせたスタッフさん達の力は、流石プロと、今更にして感服しきりですね。
 たとえば、黄泉の矛盾する気持ちであったりとか(黄泉姐さんが嫉妬で神楽を殺そうとしたとか巫山戯た事言ってんじゃねーぞ、姐さんは断じてそんな薄っぺらな人間じゃねー)、Paradise Lostで歌われている神楽の「絆」を慈しむ気持ちであったり、とにかく、「喰霊-零-」がとてつもなく素晴らしいという事がよく分かった次第でありました。

 最後にParadise Lostの一節を引用しておきます。
 「絆」を決して離さない、「しがらみ」が決して離れない、そういう神楽の眼差しがそのまま、「私たち孤独じゃない」が原作「喰霊」のスタートラインに係っていくなど、曲自体もさる事ながら、歌詞も「喰霊-零-」、「喰霊」の両方に深く突き刺さる内容となっており、非常に完成度が高い出来です。

「わかり合う(求め合う)
絆の中
離さない(離れない)
始まるDestiny
 
  Paradise Lostより」

Paradise Lost

Paradise Lost

 嗚呼、それにしても、黄泉姐さんはとてつもなく綺麗だなぁ。

喰霊 (1) (カドカワコミックスAエース)

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夢の足音がきこえる

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