レビューについて 〜現状分析〜



 今、当ブログでは、コードギアスの感想を書いています。

 感想を書くのには、人それぞれ色々理由もあったりすると思うんですが、私の場合は自分のアニメの見方が他人と比べてどうかということを把握しておきたかったというのが一番大きかったりします。それには、

「自分は見るべきモノを見て、読み取るべき所を読み取れているのだろうか?」

 こういう疑念があったりします。



 こういう比較は、余所様のブログで感想を見ているだけじゃダメで、自分の感性っていうフィルターに掛けて、そこから読み取ったものを纏めた上で、余所様の感想を読まないと把握できない事だと思うんです。

 他人の感想を読んで、

「ああ、やっぱりね。」

「ああ、なるほど。」

 ばかりじゃ、自分の頭を使って見ていない証拠だし、

「私はこう思うんだけどな。」

「なら、こんな考え方もありじゃない?」

みたいなのを繰り返して、自分の引き出しを増やしていかないと、感性は萎んでいくばかりで、だんだん「観る」事が「見る」事になっていって、しまいには「見る」ことがつまらなくなっていってしまうんだと思う。
 
 現時点で自分の感想に足りないと思うのは、

キャプ

とかじゃなくて、一つには読みやすさじゃないかと思います。
 現状では自分の感じた事をそのまま文章にしているワケなんですが、それだとやっぱり限界があるわけで、他人が「読みたい」と思えるような形に調整することもできないと、折角公開している意味が半減してしまう。

 勿論キャプが有ると「おっ」と思って、「じゃ、読んでみよっか。」なんて思うし、センスのいい人だと、他人の目を引き込むように作ってあるので、そういうのを見てると、うちのブログみたいに文章オンリーなのはやっぱり弱いとか思う。
 けど、どうせ書くなら、「現時点でのベスト」だと、自信を持てるものを書きたい。
 時間が経ってから、「あの時はこんな風に考えてたけど、ここはもう一歩踏み込んで考えるとこだったよね。」とか、「なんでこれだけヒント与えられてるのに気付かないんだよ。」とか、考える材料にもしたい。
 今この時に自分の限界まで書こうと思えば、どうしたってキャプなんかやってる手間が惜しいし、それにあまり推奨はされていない事をやるのは、どうにも気が引けます。

 もう一つには、「展望」という点、現在の感想を読めば、「伏線」という言葉を乱用していますが、それには作品の構成から展開を予想したいという欲求があるという事の反映でもあります。
 正直、この種の技術は自分にはあまり無いと思っているので、現状では「適合率を下げてでも再現率を上げる」という立場を取ってます。
 この辺をもっと収斂させて、的確に構成も把握できるようになりたいと思ってます。

 この辺を踏まえて感想を書いていきたいと思ってます。

 ところで、突っ込んでいいところか分かりませんが、余所のブログを読んでると、中間テストとか、部活とか中学生とか高校生の話題の隣で、何故18禁ゲーム原作、今期だったら「乙女はお姉様に恋してる」とかのプレイ前提でレビューとか書かれているの?
 
 法律云々よりも、普通に8000円ぐらいするのをホイホイ買える財力が凄いよ。

 もの凄い時代になったなぁ。