1177724040変ね、望みが叶ったのに、どうして、こんなに悲しいのかしら。  ウエルベールの物語第3話 〜旅立ちの章〜



 今回はティナ姐さんのグリーダムを目指す動機の背景の描写。

 先回の爽快感はどこ吹く風、今回はしっとりと復讐の後の空虚さを象徴するようにネガティブな展開。

 この作風の違いは、リタ姫様と、ティナ姐さんの、二人の出発点にあるのではないかと思います。
 つまり、先回の爽快感は、リタ姫様が「個」の無い政治の道具として肯定してきた「王女リタ」から、ただの「リタ」になるという、「個」の肯定が作中正義、ポジティブ要素として描かれるのに対して、ティナ姐さんの「復讐」という「殺人」すら、個人的感情=「個」で全肯定している現状は作中のネガティブ要素として描かれているんだと思います。

 要するに、このウエルベールの物語は、「公」「個」止揚を描きたいのでは無いかと思います。




 実際、リタ姫様は、「国>自分」だと決心していたのに、自分の為にメガネ王子を刺してしまい、国民の平和を守る為、つまりは、大多数の他人の「命」の為に、「政治的判断」と、自己犠牲の精神で旅を続けているのに対して、ティナ姐さんは、母を殺した「地獄蜂の男」に復讐をする為、つまり、既に失われた「命」の為に、「個人的感情」で旅を続けているワケです。 動機の時点で既に、リタ姫さまとティナ姐さんは、初めから異質な存在であると同時に、相補的な関係なのだと思います。 けれど、知っての通り、リタ姫様も「自分」の為にメガネ王子を刺したワケで、潜在的「個人的感情」が確かに存在するワケで、リタ姫様の話の落としどころとしては、姫様本人が否定した筈の「個人的感情」の肯定なのだろうと思います。 という事は、ティナ姐さんの話の落としどころも相補的な所になる筈なので、「殺人」の罪がネガティブに描かれる姫様と相補的に作用して、ティナ姐さんは、「大多数の他人」の為に、「死神の男の殺害」という、今まで肯定して来た旅の動機だった「モノ」を諦める方向に進むものと思われますから、グリーダムの国王こそが「死神蜂の男」とか、「死神蜂の男」を殺す事で誰かが不幸になる、例えば、幼い日のティナ姐さんのように、「死神蜂の男」にも娘がいたりするんじゃないかと思ってます。 作中で如何にも可愛らしげな幼女が登場したら、「死神蜂の男」の娘だと疑ってみることにします。 あと、最後に一言、 ちくしょう、メガネ王子死んで無かった。DVDのパッケージにまでちゃっかり出てやがる。
 し ぶ と い 。 
 ちょっと愛着が湧いてきました。

ウエルベールの物語 特装版 vol.1