アニメの考察でありがちなパターン

 アニメの考察でよくありがちなパターンに、「表面をなぞっているだけ」というのがあります。
 例えば、キャラの台詞、過去の回想といった、微視的な面(=見ていれば分かり切っている事)にしか目を向けず、ストーリーの構成とか、テーマとか、そういう巨視的な視点が全く欠けている感じの。

 最近の例で挙げれば、「Darker than Black 黒の契約者」という作品がありますが、微視的な視点で見る人には、「考察」はかなり難しいタイプの作品。何故なら、「メガネを掛けた解説キャラ」に当たる人物が不在ですから。(笑)そういった微視的な視点しか持たないのに「考察」を掲げているブログでは、「黒の対価」は「大食い」というのを毎週続けたりする。それも辛くなってくると、「考察」という言葉を外してネタに走ったり、非道い時には、見回るブログも、「分からない」を連発してるのをいいことに、自分のブログでも、「分からない」=「品質の低い」と断じて、自分の努力が足らない事に思い至らずに、「みんながそう言っているんだから、私の考えは正しいんだ!」と、自分を正当化して、作品を貶めて憚らない人がいます。


 最初は自分の表現の為に書いていた「感想」が、いつの間にか、他人との馴れ合いの「愚痴」に変わっている事に気付いていない。

 初めは「謎」を解いて他人の賞賛を得たいと考えていた人が、解けないと思うと、掌を返したように、「分からない」同士が集まって「分からない」事を正当化してしまう。これって、あまり美しい姿とは言えませんよ。
 台詞や回想を見るだけで分かる事は、視聴者のみなさんも読み取れているんです。それ以外の事に気づけない自分なら、「分からない」を正当化しちゃダメなんですよ。

 ちょっと偉そうに語ってみた。