ガン×ソードは「市民革命」と「絶対王政」の戦いの物語

 「ガン×ソード」はドミノ倒しのように人々の選択が別の人の選択へと次々と連鎖していくアニメ。要は、その姿こそが人の姿であると、作中善として描かれているワケで、アウトローなんですが、それぞれの生き方を貫いて暴力や圧政に立ち向かう点で「市民革命」。
 一方で、「カギ爪の男」の目指す世界はそれらを無価値だと吐き捨てて、「私の選択をみんなで選択しよう」と言ってるワケで、それは、精神まで陵辱する最低の「絶対王政」。おまけに、「カギ爪の男」は、頭が可笑しくなっていて自分自身の「醜さ」を自分自身で欺いて、全てを「愛」で説く人格破綻者。要は、彼は「憎い」と思っていてもそれを「愛」だと主張しているんですが、行動は本音を漏らしていて、18話で反逆したスタッフをかぎ爪で殺す描写があるんですが、その時「カギ爪の男」が口にしたのは、

「君のことを愛しています」

ここで、「愛する」の対義語である「憎む」で置き換えてみましょう。

「君のことを憎んでいます(だから死んで下さい)。」

 しっくり来るじゃありませんか。26話で、計画を台無しにしたヴァンに言うワケですよ。

「・・・ヴァンくん、私はあなたを・・・愛しています。」

つまり、「カギ爪の男」語を意訳すると

「・・・ヴァンくん、私は(計画を台無しにした)あなたを・・・憎んでいます。」

という、最大限の憎しみを口にしているワケです。

 要するに、「カギ爪の男」は、「良い」という言葉も「良い」と表すし、「悪い」という言葉すら「良い」で表すので、「カギ爪の男」のセリフは、「自分の都合の悪さ」を隠す「絶対的自己」と一緒に、その辺を反芻しておくと、すっきりとしてきます。

 「カギ爪の男」にあるのは、「(罪が無い)絶対的な自分」と「自分に都合のいい罪人」と「自分に都合の悪い罪人」の三つだけ。罪人の子孫であるエンドレス・イリュージョンの人々を「生まれながらの愚者」と認識しており、「罪無き自分」に対して協力して当然だと思っているんですね。

 「カギ爪の男」という人物は、元々善人だと思います。だからこそあれだけ慕われるんだと思います。それだけではどこにでもいる一般人の域をでませんが、「悪人」すら「(憎しみで)愛している」と信じ込んでいる為に、世俗を超越した人間として映ってしまうんですね。「幸せの時」が実現していたら確かに「争いの無い世界」は実現されるんですが、そんな世界には生きたくないです。

 また、「相対的(=人間的、感情的)」と、「絶対的(=狂人的、論理的)」の次元。つまり、「愛と憎しみ」で「復讐」を掲げるヴァンと、「愛=憎しみ」で「大義」を掲げる「かぎ爪の男」という図式で捉える事も可能。こっちの方が分かり易いかな。

ガン×ソード公式ビジュアルブック (JIVE FAN BOOK SERIES)

ガン×ソード公式ビジュアルブック (JIVE FAN BOOK SERIES)

キ○ストと「カギ爪の男」

 「贖罪」というキーワードで二つは繋がるんですが、私自身はキ○スト教に余り詳しくないので本文に織り込めませんでしたが、発言自体が破綻している人格破綻者、「憎しみ」も「愛」で解釈するという点で同類だと思います。尤も、「贖罪」自体が元のユ○ヤ教より強調されているのは、ペ○ロ達使徒が布教の為に無辜の市民を「罪人」だと脅迫する、今で言う「霊感商法」のようなものだとされていますし、その認識は間違っていないと思います。
 もう一つ類似点を挙げるとしたら、「仲間内で信仰を広める」分には、まったく問題が無い事。「カギ爪の男」の「幸せの時」もそれを望む人の間でやる分には構わないのですが、キ○スト教と同じで、それを望まない人を「罪人」だと決めつけて「信仰しろ」と言ってくる辺りかな。