BLUE DROP〜天使達の戯曲〜第13話感想&備忘録「Rosmarinus」

「物語の中に逃避せずに、現実に立ち向かえ!」がメッセージ。
 さて、その前に、ミッチーの戯曲にはいろんな意味が付託されています。
 それはたとえば「若竹さんと千光寺さんが紡いできた二人の関係構築そのもの」であり、他の登場人物も、ミッチーの戯曲をなぞるように、「異端の烙印を押されたジャンヌ」を弾劾するように「アルメである事を自ら暴露した千光寺さん」を弾劾していました。
 と、ここまでは誰でも予想が付きます。
 ですが、そこは流石「BLUE DROP」。最後までレベルが高かった。
 アルメの攻撃で戯曲が中止され、それまで物語の中に入らなかったミッチーが初めて自分から「アルメである千光寺さんを弾劾する仲間達(=異端とされたジャンヌを弾劾する民衆達)(=現実の困難メタファー)」に対して異議を唱えたことで、ミッチーは現実に立ち向かう強さを手に入れたのです。
 このミッチーの成長譚は、今まで現実逃避の手段だった物語を、現実に向き合う事で生まれた「オルレアンの少女」を作り上げた所で終わりかと思ってたんですが、そうではなかったのです。流石です。
 つまり、ミッチーに与えられていた役割は理想の世界への脚本を実現させる「調停者」。

 若竹さんが現れるまで、地味で目立たず、空気のような存在だったミッチーが、若竹さんが現れた事で「現実」に巻き込まれるようになり、「オルレアンの少女」を通じて寮やクラスのみんなとの絆を深め、千光寺さんの欠席などの一連の事件でリーダーとしてみんなを纏める統率力や精神力を獲得し、「大切なもの」を守る為に戦った「千光寺さん(=ジャンヌ)」を目の当たりにした事で、「大切なもの」を守る為に立ち上がり、30年後、全権委任代表として地球の命運を背負うという、ミッチーの成長譚だったのでした。
 やられた。BLUE DROPは、ミッチーが主人公だったんですね。

 そして、「BLUE DROP」という物語も、「オルレアンの少女」という「戯曲」も、どちらもラストが描かれなかった事、終盤になってようやく現れたサブタイトル「Rosmarinus(海の雫)」や、若竹さんやミッチーの台詞、「まだ終わってないから!」、「いいえ。幕はまだ、上がったばかり。」の台詞が象徴している事、「空気」に過ぎず、「現実逃避者」に過ぎず、「傍観者」に過ぎず…と、逃げてばかりいたミッチーを通して、「視聴者」に過ぎなかった私達に「未来」が委ねられた形で終わり。
 だから、「BLUE DROP」という作品に込められたメッセージは、「物語の中に逃避せずに、現実に立ち向かえ!」という事なんだと思います。

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若竹さん&千光寺さん

 若竹さんにとって、千光寺さんとの出会いに始まった寮やクラスのみんなとの学園生活は、辛い事もたくさんあったけど、それでも何物にも代え難い時間でした。
 千光寺さんにとっても、若竹さんとの再会から、今まで機械のようだった千光寺さんは笑顔で笑えるようになり、若竹さんだけじゃなく、寮やクラスのみんなとも掛け替えの無い時間を過ごしてきました。

 二人が過ごしてきた大切な「日常」は、「若竹さんと千光寺さんと。みんながいる日常」。誰が欠けても「日常」じゃない。でも、シバリエルさん率いる艦隊の攻撃で終に守れなくなって、千光寺さんは、自分が愛した「日常」から自分が消える事になっても、「大切なモノ」を守る為にノヴァールと刺し違える事を選ぶしかない。自分が守ろうとしたモノを守る為には自分が消えるしかないないのが切なかったです。
 ラストで、特攻を掛ける中でたった一つ遣り残した「オルレアンの少女」を、岸に佇む若竹さんとの掛け合いは、二人の心の繋がりが如実に表されていて、見ていて胸が締め付けられました。

「如何なる刃を以ってしても切る事能わず。
我の内なる荒野に咲ける一輪の薔薇を。薔薇の名は、ジャンヌ。千光寺萩乃。」
「ジャンヌ、世界に希望の、種を、蒔く者…。」

自己犠牲

 この千光寺さんの「自己犠牲」は、今回アルメの少女達(まあ年齢は意外とアレなんですが)が「自己犠牲」でバンバン死んでいったのと対照的で、最後の最後まで「自己犠牲」ではなく「生きる事」を渇望しながらも、守る為に、自分にしか出来ないことをするために「自己犠牲」を選んだ千光寺さんと、生きる事を放棄したように死を選ぶアルメの少女達とは明確に違います。
 実はこの「自己犠牲」というキーワードは原作に当たる〜〜で何度も問われているテーマで、主人公であり、おそらく「世界」そのものと同質な存在である筈(「唯(=one)」という名前、ハーフである事、「自己犠牲」を理解し、自らも「生き方」としながらも他人の「自己犠牲」は見過ごせない、「見た目が特殊な存在」より「本質的に普通の娘」が好きなど、「共存」のメタファーになっています。)の「唯」が、「押し付けられた自己犠牲なんて、本当の自己犠牲じゃない」と言っています。

BLUE DROP―吉富昭仁作品集 (電撃コミックス)

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 とにかく、原作では「本当の自己犠牲」と「押し付けられた自己犠牲」が対立しているのですが、最終的に「本当の自己犠牲」を実現したのは、みんなを守るために散った千光寺さん、千光寺さんを補佐し、千光寺さんの望みを叶えようとしたツバエルさん、恋人の仇を討つ為に戦ったアザナエルさん。そして、千光寺さんから「強さ」を受け取ったミッチー。アニメ版もまた、「本当の自己犠牲」を描いた話でした。

「こちら元・第一艦フライトチーフ・アザナエル
ノヴァール機のコントロールは奪取した。
さっさと浮上しろ、このヘボガンナー。」
「うるさいぞこのボンクラ!大体元々がお前の指揮下だろうが!
攻撃相手を間違えてるんじゃないのか?」
「ああ、間違えていた!仇を討つ相手をな!

「なんとしても、コマンダーに、あのお芝居だけは…。」
「なんとしても、なんとしても、コマンダーを!守るんだから!」

「あれから30年か。」
「やっとこの戦争に幕を下ろせるってわけですね。」
「いいえ。幕はまだ、上がったばかり。」

「大丈夫よ。きっと。」

 ピンチの時に帰ってきたアザナエルさんは格好良かった。しかもちゃっかり生き残ってるし。そんなアザナエルさんが大好きです。

今週の花言葉

 Rosmarinus(ローズマリー)の花言葉は、追憶・思い出(from Floword

 予想通りサブタイトルの読みは語源である「海の雫」。

 さて、因みにRosmarinus(ローズマリー)語源は「海の露」。第一話の"Hydrangea"(水の入れ物)と対応する形で、語源がサブタイトルの読みになると、今まで花言葉に表パートと裏パートの意味があると主張してきた私も報われるんですが、どうなる事やら。

http://d.hatena.ne.jp/AlfLaylawaLayla/20071224/1198478517

 今まで「表の意味」と「裏の意味」があると信じて書いてきましたが、何とか自説を降ろさずにやってこられました。

総括

 ガチレズアニメというので、ビクビクしながら見始め、ドロドロしてきたら切ろうと思ってたんですが、特に過激な表現が出ず、毎週安心して視聴していられました。
 逆に、百合分とかを求めていた人には物足りなかったんじゃないかとも思いますが、私は3ヶ月楽しく視聴&レビューできました。
 スタッフの皆さんありがとうございます。


 それにしても、テレビ和歌山、本当に12/31に放送するとは思わなかった。今更ですがしょうがないですね。

 多分今年最後の更新となると思います。

 みなさまよいお年を。
 そしてもしかしたら、あけましておめでとうございます。

 来年も「日がな一日ラらラら日記はーてなっ!」をよろしく。

コミック(直接の原作ではないので注意)

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