アニメ版true tearsに於ける「導き手」の役割 〜あいちゃんと石動純は何故年上として設定されなければならなかったか〜
true tearsでは、高校一年生4人(眞一郎、乃絵、比呂美、三代吉)と、高校二年生の安藤愛子ことあいちゃん(以下「あいちゃん」と呼称)と、高校三年生の石動純君が複雑な関係を成しています。ですが、何故あいちゃんと石動純君を主人公等より年上に設定する必要があったのでしょうか?
その答えは、あいちゃんと石動純君が物語の「導き手」としての役割を担っている為だからです。
「導き手」とは、他の登場人物等が「辿るべき道」を予め辿っている、謂わば「人生の先輩」としての役割を担っている人の事です。
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眞一郎 | ─ | 乃絵 |
│ | × | │ |
比呂美 | ─ | 石動純 |
上の図は、「アニメ版「true tears」はエロゲのアンチテーゼ、「アンチヴィジュアルノベル」である。」で用いたものですが、この均衡を最初に揺るがしたのは第四話で乃絵さんとの交際を持ちかけてきた石動純君の台詞が発端でした。つまり、石動純君は、乃絵さんと距離を取り、眞一郎君と乃絵さんの距離を近づけ、相対的に眞一郎君と比呂美さんとの距離を離し、互いに親密でも疎遠でもなく、互いに適当な距離を取っていた(=「綺麗な正四面体」の関係だった)四人の関係の均衡を破壊したという事になります。それがきっかけとなって、各登場人物は自ら「自ら望まない」関係の崩壊を自ら歩む事になります。
また、第三話で眞一郎君が、乃絵さんと比呂美さんの考えが分からないと悩んでいた時に、「人って……、人って、誰かを好きになると、その人にもっと近寄りたいって思うよね。」と、二人の行動に対する解答を与えたのはあいちゃんで、瞬間的に比呂美さんとの距離を縮め、そのリバウンドで比呂美さんとの距離が最初の状態よりも広がってしまいました。
また、これが石動純君とあいちゃんの最大の共通点で、「導き手」としての役割を最大に発揮しているのは、「一度諦めた思い」を秘めている点です。
物語開始時点で、あいちゃんは「眞一郎君への思い」を忘れようと三代吉君と付き合い、石動純君もまた「乃絵さんへの思い」を諦めるきっかけを求めていました。
そのグループに、比呂美さんが「眞一郎君への思い」を忘れる為に加わり、それに現時点の最新話である第7話では、三代吉君が「あいちゃんへの思い」を、眞一郎君が「比呂美さんへの思い」を忘れる為に加わっています。
「眞一郎君のお父さんがあたしの本当のお父さんかも知れないって。」(湯浅比呂美)
「お前…、格好いいよな。
いいぜ…、俺、お前なら…。」(野伏三代吉)
「好き、だよな、多分。
好きじゃなかったら、こんなに振り回されたりしない…。そうだよ。
交換条件とかじゃないぞ。」(仲上眞一郎)
しかし、第七話では、「眞一郎君への思い」を忘れようとしていたあいちゃんが、やっぱり「眞一郎君への思い」を押さえきれずに、眞一郎君へのキスへと繋がります。
「私の事も見てよ、お願いだよ…、眞一郎……」(あいちゃん)
しかし、現在はまだ7話。物語の折り返しに過ぎません。
さて、ここで脱線して、これから起こるであろうイベントを列挙すると以下のような事が考えられます。
-
- 眞一郎君と比呂美さんの家族崩壊イベント
- 比呂美さんが雪を好きだと言えるようになるイベント
- 地べたの飛翔イベント
- あいちゃんと三代吉君のセーターイベント
- 乃絵さんの「理性」と「欲望」の鬩ぎ合いイベント
眞一郎君と比呂美さんが本当に「兄妹」であるかは、白黒きっちり決着しないといけませんし、第7話でも、眞一郎君の両親の行動の気配が描写されていた事から、「1.眞一郎君と比呂美さんの家族崩壊イベント」は早晩訪れると考えられます。
「昨日の事だけど…」(眞一郎の母)
「眞一郎、母さんに何を聞かされた。」(眞一郎の父)
季節は冬。「雪が嫌い」とわざわざ描写し、また、「3.地べたの飛翔イベント」にも関わってきますが、「天空のモノ(=作中のポジティブイメージ)」を持っている雪に対して、比呂美さんがネガティブイメージを持ったまま終わるとは考えにくいので、それが解消される「2.比呂美さんが雪を好きだと言えるようになるイベント」は必ず必要です。
そして、2に関連する形で、「3.地べたの飛翔イベント」も必ずあると思います。それはこの記事の中心的話題でもある「導き手」は、、「地べた(鶏小屋に残ってる方の鶏)」にとっての「雷轟丸(狸に襲われて死んだ方の鶏)」が、「導き手」であるともかんがえられます。また、「雷轟丸」は「飛べる」というキーワードを媒介にして眞一郎にとっての「導き手」でもあり、乃絵さんが再三に渉って「地べた」と比呂美さんを同一視してる事からも、「2.比呂美さんが雪を好きだと言えるようになるイベント」があるなら比呂美さんは「飛べる」ように変わる筈であり、必ず同一の存在である「地べた」も「飛ぼう」とする筈なのです。そしてそれは、乃絵さんにとって「飛べない」という思いこみの揺らぎに繋がります。
そして、4。あいちゃんにとって、「眞一郎を選ぶか、三代吉を選ぶか」を象徴する、どっちつかずのガジェットとしての機能を持っている「編み掛けのセーター」は、全ての決着を象徴するイベントになる筈です。(恐らく三代吉君を選ぶ事になると思われますが)
最後の「5.乃絵の「理性」と「欲望」の鬩ぎ合いイベント」は、今回所々に綻びが見あたりながらも付き合う事になった眞一郎君と乃絵さんですが、あいちゃんと三代吉の関係から比定すると必ず破局または破局寸前に至るイベントは訪れます。そしてそれは恐らく、乃絵さんと飛ぶ事で、「眞一郎が飛べなくなる事」を乃絵さん自身が気付いてしまい、乃絵さんが「眞一郎といたい、でも、このまま一緒にいたら眞一郎は飛べなくなる」という葛藤に気付く事が考えられます。(理性と欲望の鬩ぎ合いについてはこちらを参照:「アニメ版「true tears」はエロゲのアンチテーゼ、「アンチヴィジュアルノベル」である。」)
1、2、3は比呂美さんに関する事、4はあいちゃん、5は乃絵さんに関するイベントですが、比呂美さんは眞一郎君への再接近、あいちゃんも三代吉君への再接近を予感するのに対し、乃絵さんは眞一郎君との疎隔が考えられます。
さて、ここで話を本題に戻しましょう。
あいちゃんが今回眞一郎君への再接近をしたように、この後、比呂美さんも同様の事をする事が考えられますから、あいちゃんは、「誰かへの思いを忘れようとする事」を先行して行っていたのみならず、「誰かへの思いを再び燃え上がらせる事」も先行し、そして「別の誰かへ接近する事」すらも先行すると思われますから、あいちゃんが他の女性陣にとっての「導き手」である事は自明であると考えます。
ならば、石動純君は他の男性陣にとっての「導き手」であろうと推測できます。実際、石動純君はあいちゃんと同じように「誰かへの思いを忘れようとする事」を先行して行っています。そして恐らく、「誰かへの思いを再び燃え上がらせる事」も先行し、「別の誰かへ接近する事」も先行すると思われます。第七話での石動純君の言動からは、グレーに近いですが、三代吉君は間違いなく「あいちゃんへの思いを再び燃え上がらせる事」を行う筈ですし、眞一郎君と比呂美さん関係を解決する為には、やはりもう一度「お互いへの思いを再び燃え上がらせる事」はありうるでしょうから、恐らく石動純君も「乃絵さんへの思いを再び燃え上がらせる事」は同様にありうると思います。
「大丈夫、いいんだよ。変わっても。」(石動純)
「本当?」(石動乃絵)
「ああ、いいんだ。
いや、変わらなきゃ、ダメなんだよ。」(石動純)←自分に言い聞かせている
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最後に
この「導き手」は、「アニメ版true tearsで用いられている「重ね合わせ」を用いた内面の描写方法について」の「重ね合わせ」を発展させたものですが、「重ね合わせ」についての石動純君の事に関する記述は、第七話で若干怪しくなってきた所もありますが、物語の展開に応じて仮説の修正を繰り返すダイナミズムこそが、リアルタイムで作品を視聴する楽しさだと考えています。だから、多少間違っていても気にしません。(開き直り)