ドラゴノーツ -ザ・レゾナンス-第24話感想&備忘録「逆鱗―消えゆく明日―」

 「宿命」サイドが掲げる最優先事項、「永遠」と「唯一」では、誰も!何一つ!「変わる事」はできない!「自由意志」は「互いに違うから」存在する!「有限の時を誰かと一緒に生きているから」存在する!

 ドラゴンの卵にレゾナンスを「強制」し、人類を滅ぼす事を「強制」し、人類と融合する事を「強制」する、「宿命」サイドの頂点に立つ存在、タナトスタナトスは、「永遠」、「唯一」である事を「強制」してきた為に、常に「一人」でした。
 でも、タナトスが生み出した存在、ドラゴンさえ人間の存在で変わったように、タナトスだって変わる事が出来る。ですが、「永遠」のカウンター要素である「有限の時」、「唯一」のカウンター要素である「互いに違う事」を、「強制」によって融合しても、決して「自由意志」は得られない。だから、ジン君達が止めなくてはいけない。
 「強制」を掲げるタナトス、「宿命」サイドと、「自由意志」を掲げるジン君、「運命」サイド、最後の戦いです。

「恐れるワケじゃない!
タナトスと一つになるって事は、俺が俺でなくなるって事だろ?
トアがトアでなくなるって事だろ!
そんな事、俺もトアも望んでない!」(カミシナ・ジン)

「人は生きているからこそ、
好きな人と一緒にいられる一瞬一瞬が輝くのよ。
私は地球に来て、ジンとレゾナンスして初めて知ったの。」(トア)
 
「死ぬ事が素晴らしいというのか?」(アーシム王子)
 
「いいえ、生きている事が素晴らしいのよ!」(トア)

本編感想

 今までも何度も描写されてきましたが、「大切な人の手を掴む事」、「愛の為に壁を破る」という行為は、ドラゴノーツという作品で重要な意味を持ちます。
 第一話で、ジン君が母親と妹、二人の手を掴めなかった後悔が、大事な存在、トアさんと引き離される度に「壁(=「強制」のメタファー)」を打ち破り、手を掴む事に対する思いの源泉になっています。
 しかも、今回気付きましたけど、手を繋いでも、「片手」だけなんですよね。
 「片手」だけなら一緒に前を向いて歩いて行けるけど、「両手」だと、お互いしか見えないから、そこで止まってしまう。それでは「融合」を強制するタナトスと同じになってしまう。
 怒られるかもしれないですけど、「マリア様がみてる」の「いばらの森」収録の「白き花びら」の佐藤聖さんと久保栞さんが両手をつないでしまったのと、それと対照的な「いとしき歳月(としつき)(後編)」収録の「片手だけつないで」の佐藤聖さんと藤堂志摩子さんが片手だけ繋いだのを思い出しました。

マリア様がみてる 8 いとしき歳月(後編) (コバルト文庫) マリア様がみてる 3 いばらの森 (コバルト文庫)

 そう考えると、アーシム王子は、「大切な人の手を掴む事」、「愛の為に壁を破る」という状況を作りだした点からすると、前川淳さんにとってはアーシム王子は「タナトス」の代わりだったんだなぁとしみじみ。だとすると、もう答えは出てるんですよね…。アーシム王子は最期に「運命」サイドに着地したワケですから…。

 また、ライナさんのアプローチは、人間とタナトスの「自由意志」を尊重した対話による解決。
 それは失敗に終わってしまいましたが、大事なのは姿勢。ジン君達は「一人」じゃない。
 志を同じくする仲間がいる。その事が重要なのであり、ライナさんの試みはジン君に託され、ギオの説得と、タナトスの変化を誘発する事に成功しました。

「しかし、あそこにも人間とレゾナンスしたドラゴンがいます。」(ハバラギ・イツキ)
 
「ギオか…。」(キリル・ジャジエフ)

 成る程、「コミュニケーター」は「タナトスと人間を繋ぐ」という意味があったのですか…。

ドラゴノーツ ドラマ&キャラクターソングス vol.2 ドラゴノーツ ドラマ&キャラクターソング vol.4

次回予告

 ドラゴノーツ -ザ・レゾナンス-第25話「共鳴―永遠に響き合うように―」

 どうしてこの世界情勢の中でこんなカットをわざわざ…そりゃ私だってあれは非人道的だとは思うけど、このアニメであんなカットを出しても…

おまけ

 今回のタイトルは「逆鱗」なんですが、成る程、「龍の逆鱗」だから「龍」と「ドラゴン」を掛けたんだ…そっかぁ…。

 あと、戦闘がクライマックスになると掛かるあの曲が今回のラストでも掛かってたんですが、この曲好きなんですよね。サントラ買おうかな…。