「オタク」という言葉の断絶の徴候について

 skripkaさんの「オタクの“ライト化”? それって普通のファンじゃねぇのかよw」というエントリーを読んで、現在は「オタク」という言葉が多義語化し過ぎた結果、「新語を生み出したいという欲求」が生まれだしたのに対し、その欲求を阻害する「オタクの選民意識」が働いているように感じた。

「浸透と拡散」じゃないけれど、「オタク」がここまで浸透したら、敢えて「オタク」とカテゴライズしなくてもいいように思う。ギャルゲーをしたりフィギュアを買ったり、同人誌を買うことは、もうテニスをしたりパチンコをしたりすることと同じ普通の趣味といっていいだろう。しかし、それでは特権性(捏造されたものだが)を失ってしまう。「オタク」は世間から疎まれ、抑圧される存在でなければならない。そこが、オタクと普通のファンとの大きな違いかもしれない。

http://blog.goo.ne.jp/skripka/e/c34ca280b9abc3ef16b8fb6ea67b5203

 言葉というのは摩滅するものだ。頻繁に使われる言葉は、使われれば使われるほど使用方法が曖昧になっていく。そして、ある程度の段階に達すると、「ルール破り」の使用方法が、「ああ、でも私はこういうニュアンスを込めたいんだ」というような気持ちから生まれてくる。これは、遺伝子の突然変異が定着して新しい種なり何なりが生まれる様に似ている。古語辞典を紐解けばそういった例はゴロゴロしている。例えば「やさしい」(古語では「やさし」)は、元々の原義は「身が痩せる程に人目が気になる」という意味だったが元々は人称制限(使える人称が制限される事)を持つ、「一人称しか使えない語」、つまりは自分の気持ちについて自分が語る時にしか使えない語だった。それが「二人称」に対しても使えるように拡張された結果、「遠慮がちな様を形容する語」に変化し、それがやがて「細やかな気遣いをする語」、そして「思いやりが深い」といった意味に変化していった。

 「オタク」はそのような変化がかなり早く起こった。しかし普通の「新語」の多くがそうであるように、その世代限りで死滅していくのが普通であるのに、世代毎に「オタク」の取り方が違うという「断絶」を生み出しながらも生き残っている点が興味深い。(それも勿論「選民意識」と「一般人」の差別意識が働いているのだとは思う。)

 だが、変化が早い語が持つ「断絶」の先にあるのは「多義語化する」か、更に進んで「新語を生み出す」かしか無い。

 前者の例で思い浮かぶのは「ツンデレ」である。「らき☆すた」10話では以下のように解説されている。

「『最初はツンツン。やがてデレデレ。』そう!つまり時間経過による心境の変化を指し示すものだったのです!
それが今では…まるでキャラクターの二面性を示す言葉、即ち、『表面上はツンツン。本心はデレデレ』のように理解されてしまっています。
あえて断言しよう! それは明らかな誤謬であると! 我々は今こそ『ツンデレ』の真の意味を回復し、この堕落した言語文化に警鐘を鳴らさなければならないのです! 立てよ国民!

 私個人としてはこれは言語として正常であると考えている。つまり「ツンデレ」にはそれだけの二つの語義を持ち合わせながらも、それを共存させられるだけの汎用性があり、また、その使用者達に「新しい語」を作る必要もなく、「ツンデレ」で充足してしまっている為に、「原義」に「新しい語義」が追加されて、文脈によって語義を使い分ける事が普通になっているものである。

 話を元に戻そう。
 変わって後者の例で真っ先に思い浮かぶのは「萌え」だろう。私は「萌え」という単語が誕生した頃の事には詳しくないので断言しかねるが、「萌え」の前には「燃える」とか「熱い」とか「すげー」とか「面白い」というような言葉をそれぞれが使っていたのだろうが、そこには「萌え」という言葉が入り込みニッチがあったのだ。

 「オタク」という言葉は、「オタク」の全体数が多くなるに従って、前者(「多義語化する」)が顕著になっていき、次第に「オタク」が他の「オタク」を自分とは違うと思うようになり始め、「後者」(「新語を生み出す」)の気運が高まってきているのだと思う。

 skripkaさんの先のエントリーに「1日でブックマークが54userが付いた事」は、「一般人」に対する「オタク」と呼ばれる人々にとっては、「オタク」と呼ばれる事に対して違和感を、「自分は一体何者なのか」という疑問を抱いている徴候であるように感じる。

 だが、それを阻んでいるのが、やはりskripkaさんが指摘されていたように「オタク」は差別用語であると同時に選民意識を高揚させる単語であり、「オタク」は「オタク」とカテゴライズされる事に快感を覚えるという要素である。

 つまり、「オタク」という言葉は、過剰に多義語化し、中では飽和状態になって、「オタク」の間では「新語」を心待ちにしているのにも拘わらず、「オタク」自身による「オタク」という言葉の選民意識がその「新語」の誕生自体を阻害してしまっているのではないだろうか。

 このパワーバランスが、現状の飽和状態のまま「多義語化」の道を進んでいく、または別の「新語を生み出す」事になるにしても、「オタク」という言葉は死滅するのか、生き残るのかを見守って行きたい。また、この均衡状態はあとどれだけ続くのか。私自身はそれ程長い時間は掛からず数年の間に起きるだろうと考えているが、叶うならば、その変化がより面白いものである事を祈っている。

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