「狂乱家族日記参さつめ」感想&備忘録

 「女」という生き物は弱い。だけど、「母」は強い!

 今巻は凶華様が「母」になる話。

 凰火の「恋人」、死神三番が現れ、「凰火は自分の事が本当に好きなのだろうか?」と悩み、「凰火と死神三番がデートをする事になって」嫉妬に身を焦がし、妹オデッサ・エイの登場で「自分は一体何者なのだろうか?」とアイデンティティを揺さぶられ。

 「こんな自分は妻たりうるのだろうか、母たりうるのだろうか?」と、悩みに悩む中で、死の危機に直面した極限状況で、「大切なひとがいないから」、いつ死んでも構わないとする死神三番に対して、「大切なひとがいるから」、絶対に死ねないとする凶華様の姿が対照的に描かれ、「妻」としての自分、「母」として、「自分は家族の元に返るんだ!」と、背後にある「家族」の存在が強調され、「凶華様は母」という事が象徴的に表されていました。

「しかし凶華様は死なないぞ。こんなところで死んでたまるか。子供たちが家で待っている。凶華様がいつものように痛快に問題を解決し、平穏で狂乱な変わらない日々を土産に持って帰るのを信じているのだ。死んでたまるか――死んでたまるものか!」
 吐き捨てる。それは泰然とした死神に比べればみっともない態度だったかもしれない。しかし生きたいと望むことは、大切なひとのために、死ねないと思うことは――唯一ちっぽけな生という奇跡に夢中でしがみつくその姿は、当たり前に死を受け入れる彼女よりずっと誇らしいと思うのだ。

 その為に、「家族」の為に、捨てられるモノなら何でも捨てて「妻」に、「母」に、なろうとするのが熱い。かなり破格ですが「理想の親」ってこういうものだと思いますよ。

 凶華は死神の背後に回り、心の中で覚悟を決める。考えついた宴を実行するには――大切なものを犠牲にする必要がある。それは自分の人間性。最後に残った希望の欠片。
 しかし生き残るためならば、そんな些細は溝に捨てよう。乱崎家へ帰るのだ。たとえそのとき化け物の姿でも――彼らは気にしたりなんかしない。必ず自分を受け入れてくれる。
 愛すべき、自慢に思える狂乱家族。
 彼らのもとへ帰るのだ。たとえ何を犠牲にしても。

 自分が例え人間でなくても、例え自分も家族もニセモノだとしても、「妻」でいたい、「母」でいたいと、決意するのが非常に爽快なのでした。

 凰火も凰火できちんと受け入れてくれるトコが格好いい。

「凶華。安心しなさい。たとえそういうことであっても、乱崎家の母は『あなた』ですから。僕はね、凶華、妻の役だからあなたを愛さなくちゃいけないって、意地を張ってるわけじゃありませんから。もともとそういう感情に疎いもので、演技をしようとしても無理なんです。」

 オチも良かった。

 「母」として、「母」らしい事をしようと頑張ったりするのですが、逆に「家族」に「気持ち悪い」と言われていつもの凶華様に戻るのです。それって結局、「普通じゃない母親(=人外の母親)」を狂乱家族は受け入れているんだよ、という事が伝わってきて良かったです。

 嗚呼、狂乱家族日記面白いなぁ。

狂乱家族日記 参さつめ (ファミ通文庫)

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