マクロスF(フロンティア)第25話感想&備忘録「アナタノオト」

 「感じるままに飛ぶ/歌う/愛する」ことによって、種族の差さえも超えて「共存」に辿り着く話でした。そして、実はバジュラも「感じるままに飛ぶ/歌う/愛する」をごく自然に実現している凄いヤツらという、サプライズもあったりと、最後まで驚かせてくれました。

「ただ、感じるままに――俺は、飛ぶ!!」(早乙女アルト
 
「聞いてくれシェリル、今度こそランカを助け出す。
だから、お前の力を貸してくれ!
お前の歌で、あいつの目を覚ましてやってくれ!」(早乙女アルト
 
「目を覚ませランカ、お前の歌を、本当の歌を取り戻すんだ!」(早乙女アルト

 「ちゃんと気持ちを伝えなきゃ分かり合えない」、誰もが一人だし、完全には分かり合えない。だからみんなすれ違う。それはアルトとランカであったり、アルトとシェリルであったり、ミシェルとクランだったりしたけど、命を懸けてクランを守ったミシェルのように、「感じるままに誰かを愛する」ことが時に大きな力になる。

「お前達に繋がれて、よく分かった。
どこまで行っても、人は一人だ!
だけど!」(ブレラ・スターン)
 
「一人だからこそ、誰かを、愛せるんだ!!」(早乙女アルト

 だからこそ、ずっと銃を向け合う事しかできなかったアルトとブレラがここにきて共に咆哮する事で、フォールド・ネットワークなんか無くても、無いからこその「分かり合う」事、「愛する」事の力強さ。
 後半の歌のメドレーは、「歌の魅せ方はこうだ!」と言わんばかりの迫力。歌を全面に出してきたマクロスFだからこその出来でした。

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本編感想

フォールド・ネットワークとバジュラ・ネットワーク(仮)の違い

 作中であまり明確には描かれてませんが、アルト達が、グレイスの作ろうとしたフォールド・ネットワークは否定したのに、その元々の基盤であるバジュラ・ネットワーク(仮)そのものであると言っても過言ではないバジュラを否定していない事についてちょっと書いてみます。無理に差別化すべきではないのかもしれませんが、そう考えないと、「バジュラ」という存在を、グレイスの作ろうとした「フォールド・ネットワーク」との差別化が出来ませんからね。

 恐らくは、今話で、アルトとランカとシェリルが、フォールド通信で繋がりながらも、グレイスのように一方的な支配をするのではなく、それをお互いが「声」と「歌」で分かり合う為に使った事のが、バジュラ達を繋ぐバジュラ・ネットワーク(仮)に最も近い形なのだと思います。

 マクロスFを貫くルールとして、「運命を自分で切り拓くのが作中善」であり、「誰かに敷かれたレールを走るのは作中悪」です。勿論、グレイスの作ろうとしたフォールド・ネットワークは、後者の「誰かに敷かれたレールを走るのは作中悪」の方です。
 一方、アルト達が「運命を自分で切り拓くのが作中善」であり、それを達成する為にフォールド・ネットワークを利用した事から考えても、フォールド・ネットワークそのものが「作中悪」ではないという事だと思います。

「ランカ、聞こえるか、俺の『声』が!シェリルの『歌』が!」(早乙女アルト

 また、ランカが語った「バジュラにもちゃんと気持ちがあるの」という証言や、アイ君が「アイ君」という個体として、黄金の光になって他のバジュラを正気に戻していく描写、それに、「アイモ」が実は「バジュラだって恋をする」など、バジュラだって全員で一つの生命体として活動しながらも、やっぱり一人一人違う(この解釈でいいんだよね?)のであって、その点では、人間と同じであり、むしろバジュラは、「ちゃんと気持ちを伝えなきゃ分かり合えない」に対して、バジュラ・ネットワークを介して、ちゃんと気持ちを伝えるという、アルトが半年掛けて到達した「あるがままに飛ぶ/歌う/愛する」を体現した「凄いヤツら」という事なのだと思います。

「あれはね、あれは、恋の歌。
バジュラが何万年、何億年かに一度、他の銀河に住む群れと出会い、交配する為に呼びかける、恋の歌よ。
アイモ、アイモ、貴方、貴方って。」(ランシェ・メイ)

 まあ、ホントはこういう所をしっかり描写して欲しかったですけどね。(ドクロ)

総括

 ともかくも、「ランカとシェリルの共闘」、「異種生命体との共存」、そして「飛ぶ」事と「歌う」事が一つになるなど、これまでずっと描かれてきた事を集大成した形となりました。
 ところで、一体どのように三角関係を解消するかが分からなくて、「恐らくランカエンドかな…?」とは思ってましたが、まさかまさかの、二股エンド。

シェリル、お前言ったろ、『絶対に諦めない』って!
俺は諦めてないぜ。
だから、だかろ来いよ、シェリル!
お前が、お前達が、俺の翼だ!」(早乙女アルト

 ここまで盛大に盛り上げておいたのに、「灼熱の大恋愛」ではなく「温い、ちょっといい話」で終わらせてしまったのはちょっと残念かな。
 これを劇場版マクロスFで完結させるという事なのかは分かりませんが、こういう最終回ならしょうがない。
 まあ、シェリルとクラン姐さんが無事に生き残っただけでも良しとしましょう。
 みなさん御存知かもしれませんが、Sunithaはランカはどうでもいいのです。

愚痴

 ちょっと中途半端なトコで終わってしまったというのに、異論がある人はいないでしょう。というか寧ろ私が認めませんし。(横暴)

 まず一つめ、「三角関係」の解消はやって欲しかったです。
 私はシェリル派ですけど、ここでシェリルを生き残らせるとか、二股を容認させたりするようなのは、「優しさ」ではなく、「赦されざる甘さ」ではないかと思ってます。
 話の流れから考えて、アルトはランカが好きで、シェリルも好きだけど、それは友達としてというのは分かり切っているし、シェリルもそれを自覚していたのだから、ここでまた振り出しに戻すというのはどうかと思う。

 次二つめ、フロンティアの存在はどこに消えたのですか?
 半年間私の感想に付き合ってくれた人はもう気付いていると思いますが、第一話でアルトが口にした「俺は、ここにいたくないんだ…」と言ったアルトの言葉が「俺は、ここにいたいんだ!」に変わる成長譚になると思ってましたが、結果として大外れでした。最後はランカとシェリルが「開けてくれて」、狭いフロンティアから出て、バジュラの星で飛び回るアルトで締めくくられて終了。
 でも、「S.M.S」、「早乙女家」、「誰かの隣」、それらがあるのは間違いなくフロンティアであり、それらの価値を忘れて、他人の星を我が物顔で飛び回るというのには違和感を感じます。
 そもそも、アルトはS.M.Sの仲間と仲違いをしたままで、S.M.Sのみんなと仲直りしたワケでもなければ、早乙女家に一度きちんと戻って話をしたワケでもなければ、ランカかシェリルかをきちんと選んで「好きだ」と言ったワケでもありません。
 S.M.Sの代表であるオズマから「行け!」と未来を託され、早乙女家に何も言わず戦場に行って、挙げ句にランカとシェリルで一夫多妻制でもするのかコノヤロウという具合です。
 逆に言えば、それらの要素を「取り敢えずすっ飛ばして解決しちゃった事にしよう」とすれば、こうなってしまうのはやむを得ないワケですが、これは劇場版できちんとケリを付けてくれないのなら、竜頭蛇尾の謗りを受けるのではないかと思います。

 最後三つめ。
 いくらレオン・三島が大統領暗殺をして権力を掴もうとした輩だとしても、バジュラが半ばグレイスに操られていたとしても、ランカの説明不足さなどを考えても、あんなにあっさりとフロンティアのみなさんが納得するのは不自然だし、いくらバジュラがフロンティアを守ってくれたといっても、バジュラにミシェルを殺されたクラン姐さん達の憎しみは、癒えたりしないワケですが、これで「歌」で気持ちが届いたから「共存」というのは、ちょっと安直でしょう。せめてミシェルの生存ぐらいは劇場版で解決してくれるんだよね?(バカ)

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次回予告

 劇場版マクロスF始動!

 取り敢えず、見に行こう、話はそれからです。

おまけ

 散々文句言って後であれですけど、半年間楽しませて頂きました。
 ありがとうございます。