喰霊-零-第8話感想&備忘録「復讐行方 -ふくしゅうのゆくへ-」

 原作の「絆の鎖」と「しがらみの鎖」の内包と矛盾のテーマを忠実に継承している所に痺れます。
 オリジナルの展開をするアニメは数あれど、「原作の世界観」だけでなく、「原作の思想・理念」を継承した作品というのはなかなか無いと思いますが、その辺り、「喰霊-零-」はやはり凄い。(ニヤリ)

 今日書いた原作の「喰霊」の感想でも言及してますけど、「喰霊」は「絆」と「しがらみ」を不可分とした上で、それをそれを理性でコントロールしている均衡状態の揺らぎに殺生石が入り込み、理性を破壊して「負の感情」を暴走させる――という背景があります。(「鎖」が「喰霊」の世界を貫徹するモチーフとして用いられいる事は周知の事です)

絆の鎖 愛情、友情
しがらみの鎖 家、宿命、血統、組織

 そして、諫山冥はそれにつけ込まれ、本来手に掛ける筈のなかった叔父・諫山奈落を手に掛け、家督を継いで本来そこで終わっているのにも関わらず、黄泉姐さんを抹殺するという、「憎悪」に任せた行動を行ってしまう。
 しかし、確かに野望を秘めていたとは言え、理性を保っていた諫山冥にはそこまでするつもりは無く、もしかしたら、半ば父親を安心させる為が半分、自分の自尊心を保つ為が半分、その程度のものかもしれず、それが最期の台詞にも現れているように思います。

「やめて、違う、違うのよ!」(諫山冥)
 
「黙れ」(諫山黄泉)
 
「黄泉…」(諫山冥)
 
「黙れ、それ以上――」(諫山黄泉)
 
「お願い…」(諫山冥)
 
「それ以上、口を、利くな!!」(諫山黄泉)
 
「黄泉!!」(諫山冥)

 「喰霊-零-」では、「繰り返し」の週報が何度も使われています。今回ならたとえば「神楽の母の死」と「黄泉の父の死」がそうであるように、同じような状況を繰り返し、そこに現れる差分で登場人物の心情を表現するのです。
 そう考えれば、「黄泉―神楽」の関係性は、「冥―黄泉」にも置き換えられ、冥も黄泉姐さんを本当の妹として思っていた面もあったと思います。(冥は黄泉姐さんに憎しみを向けましたが、その後黄泉姐さんも神楽に憎しみを向ける事になるのは周知の通りです。)

 しかし、これで黄泉姐さんは父親も、家督も、退路も失い、そして「最後の宝物」という関係性すら、自分自身の手で破壊する事になる――というのが切ない。

次回予告

 喰霊-零-第9話「罪 螺旋-つみのらせん-」

 殺生石の暴走があったとは言え、父親を殺され、憎しみに飲まれて「鎖」の均衡を壊してしまった黄泉姐さんと、憎しみに飲まれず、「鎖」の均衡を保ち続けた神楽との差異は果たして描かれるのか、そうではないのか。