「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を見てきました。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の印象を一言で言えば、「これは『エヴァンゲリオン』ではありません、まさしく『ヱヴァンゲリヲン』」という事です。
何を言ってるか分からないとか、あたりまえじゃねーかとか言われても、こればかりは書いたまんま「これは『エヴァンゲリオン』ではありません、まさしく『ヱヴァンゲリヲン』」という事なのだからしょうがない。
さて、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」では、旧世紀とは全く異質な要素が含まれています。
私の偏見から言えば、それは「イレギュラー」、「メタシナリオ」、「メタ視点」の存在。「埋め込まれた異物」を見逃してはならない、そこにはきっと答えがある筈。
死海文書外典
「死海文書」というのは、おなじみ「人類補完計画」という「ゼーレのシナリオ」の元になってる「メタシナリオ」。
その外典ですから、つまりその意味するところは「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」のシナリオに介入してくる「何か」。
メタ視点
今回の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」では、旧世紀版とは違って、「日本海洋生態系保存研究機構」にシンジが赴き、そこで「水槽に閉じ込められた旧世紀の海」の姿を目にします。また、それとほぼ時を同じくして、ゲンドウ達は、「月面のタブハベース」に赴き、月から「地球に閉じ込められた現世紀の地球」の姿を目にします。
ストーリー上では、シンジが「日本海洋生態系保存研究機構」に行くことは直接ストーリーに影響を及ぼさないですし、同じようにゲンドウ達が「月面のタブハベース」に行く必要はなく、ここでは「『閉じ込められている何か』を外から見る」という行為にこそ意味を見いだすべきでしょう。
また、「『閉じ込められている何か』を外から見る」という行為は、人工的に生み出され、薬物で体を維持している綾波レイに直接リンクする概念であり、物語のクライマックスで「閉じ込められている綾波レイ」を助けるという所に収束していきます。
そして恐らく、「『ヱヴァンゲリヲン』を外から見る」という行為へ導いているのでしょう。
もし世界がループしているのだとしたら、「『閉じ込められている何か』を外から見る」事は、「ループを外から見る」という事になり、何らかの形で世界のループに気付くシーンが入る筈だし、そして、その先には前人未踏のヱヴァンゲリヲンの真のエンディングが待っている筈。
異物・真希波の存在
「織り込み済みとはいえ、大人の都合に子供を巻き込むのは気が引けるなぁ。」(加持リョウジ)
「自分の目的に大人を巻き込むのは気後れするなぁ。」(真希波・マリ・イラストリアス)
今までのパイロットにはいなかった大人を喰らおうとするたくましい少女ですね。
「つまり、一人でやりたいワケね。」(葛城ミサト)
「モード反転、ザ・ビースト。」(真希波・マリ・イラストリアス)
ここで、真希波あくまで自分の為だけに戦ってますが、真希波の場合は、それによってネガティブには描かれていないので、恐らく作中悪というよりは、作中の善悪基準の埒外にいる存在なのでしょう。何しろイレギュラーなのですから。
また、真希波はシンジを「外に出す」という事をしています。この「外に出す」という行為は「『閉じ込められている何か』を外から見る」に直結します。恐らく新劇場版Q以降でシンジを宇宙に送り出すのは真希波の役割。
空から落ちてきた真希波にSDATを壊される(=外界との断絶方法を壊される)
↓
その後シンジは参号機の惨劇という辛い現実を見せられる事になり逃げる
↓
逃げてシェルターに引きこもっていた所を真希波に外に連れ出されて自分の選択の結果を見せられる
↓
シンジ復活
作中善
ちょっとフライングしてしまいましたが作中善については、当然ながら「誰かの為の戦い」ですね。但し、ミサトさんが言っている「誰かの為」とは違って、「誰かの幸せを願う心」が伴ったモノ、という意味で使っているのであしからず。
「綾波を、返せ!!」(碇シンジ)
「やめなさい、シンジ君!人に戻れなくなる!」(赤城リツコ)
「僕がどうなってもいい、世界がどうなったっていい!
だけど綾波は、せめて綾波だけは、絶対助ける!」(碇シンジ)
「行きなさい、シンジ君!」(葛城ミサト)
「ミサト!」(赤城リツコ)
「誰かの為じゃない、貴方自身の願いの為に!」(葛城ミサト)
「ダメなの、もう、私はここでしか生きられないの。
いいの、碇君。私が消えても、代わりはいるもの。」(綾波レイ)
「違う、綾波は綾波しかいない!だから今、助ける!」(碇シンジ)
「相補性の巨大なうねりの中で、自らをエネルギーの凝縮体に変身させているんだわ!
純粋に人の願いを叶える、ただそれだけの為に!」(赤城リツコ)
「綾波、手を!! 来い!!」(碇シンジ)
ところで、何言ってるか全然分かりません、リツコさん。
シンジの場合
「父親に依存して」いながら、「父親の幸せを願う心」は無く、その所為で、自分が傷つく事を恐れて戦えなかった。その所為でアスカを意識不明の重体に追いやってしまった。
しかし、真希波の助けもあり、「綾波の幸せを願う心」で立ち上がる。
手に付いた弐号機の血液は、その搭乗者だったアスカの血と重なり、自ら手を汚そうとしなかったシンジの選択が結局アスカを殺かけた。そして、手に付いた血は、エヴァに乗った最初の動機、「綾波レイを助けたい」という思いを思い出させてくれるニクい演出。
旧世紀版では、綾波さんが死んでしまった事もあり、ここから更なる鬱展開に入り、シンジの決断は報われなかったのですが、新劇場版ではきちんと報われている。実に、大変良いです。
「乗せてください!
僕を、僕をこの初号機に乗せてください!」(碇シンジ)
「何故ここにいる。」(碇ゲンドウ)
「父さん、僕は、エヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジです!」(碇シンジ)
それにしても、シンジ君は3号機を安全に破壊してアスカを助けようという発想、湧かなかったのかねぇ…。
アスカの場合
「他人に頼らずに」生きて、「他人の幸せを願う心」は無かった。
しかし、レイの「シンジへの愛」を目の当たりにして身を引き、「シンジ達の幸せの為に乗る」成長を遂げた。
レイの場合
「誰かの願いを叶える為だけの存在」だったから、当然自分も他人も幸せを願う心は無かった。
しかし、(ゲンドウ達のエロゲ的策略があったとはいえ)シンジと接触するうちに「シンジの為に料理」と成長。
「綾波、父さんのこと、ありがとう。」(碇シンジ)
「ごめんなさい、何も出来なかった。」(綾波レイ)
「いいんだ、もうこれでいいんだ。」(碇シンジ)
しかし、なんというか、デレデレですな。確かに死なすには惜しい。
ゲンドウの場合
ゲンドウは「監督としての庵野」と被る箇所が最も大きいキャラだと思いますが、彼の行動が旧世紀版と大きく違っています。
彼は「ユイの為に戦っている」ワケですが、「傷つく事」を恐れているというよりは、「傷つく要素」が無いからというだけでもあるんです。
ですが「願いの為に如何なる犠牲もいとわない」姿は作中善そのものです。
旧劇場版では、レイの拒絶で頓挫してしまいましたが、それは彼が旧世紀版の作中善、「傷つく事をいとわないヤマアラシ」になれなかったからなんですね。彼は傷つく事を恐れてシンジと必要以上に接触しなかったから。
しかし、新劇場版では違います。
「また逃げ出すのか。
自分の願望はあらゆる犠牲を払い自分の力で実現させるものだ。
他人から与えられるものではない。
シンジ、大人になれ。」(碇ゲンドウ)
で、この後、シンジはその通りの行動をするんですよね。ゲンドウ偉い。
因みに旧世紀版の台詞は以下。
「また逃げ出すのか。
お前には失望した。もう会う事もあるまい。」(碇ゲンドウ)
旧シリーズでもあったミサトの台詞、「だが、最後はその父親に助けられた。」、これは新劇場版ではシンジにも起こりうるか、恐らく起きるでしょう。
結局、ゲンドウの願いの成就如何は「作中善」にのっかるかどうかなんですね。
そしてエロゲ的プレーヤーの二人
「やはり、あの二人で初号機の覚醒は成ったな。」(冬月コウゾウ)
「ああ、我々の計画に辿り着くまで少しだ。」(碇ゲンドウ)
あんたらいい年こいて何エロゲみたいな事やってますか。
適当なまとめ
つまり、あれですよ、「俺のあずかり知らんトコで何か勝手に話が進んでる。」という事を強調したい、みたいな。
何なんでしょうね、庵野監督。わざわざ自分で立ち上げた事務所で作るからには、自分で望んで作ってる筈なんですが、どこか他人に被けようとする態度というか、「逃げたいなー」みたいな態度。まるでどっかの腐れブロガーみたいな事言ってますね。具体的には「日がな一日ラらラら日記はーてなっ!」というブログのSunithaとかいうヤツ。
おまけ
実を言えばこの記事の九割五分は7/12の時点で完成してましたが、残り五分を仕上げるのが面倒でサボってたらいつの間にか時季外れの記事になってしまいました。
なんてバカなんだろう…
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マジでお金無いので買ってくれると助かります。
蛇足
私の中の脳内設定では、今回の新劇場版の舞台は、旧劇場版のラストで外宇宙に飛んでいった初号機が辿り着いた「別の地球」で、この世界のカヲル君は旧世紀版のシンジ君の後悔を知った「新しいカヲル君」という事になってます。
早くQが出て私の妄想を粉々に打ち砕いて、もっともっと面白い事をしてくれないかなぁ!
なお、「式波・アスカ・ラングレー」というキャラは、「惣流・アスカ・ラングレー」とは別人だから、何やったってOK!という制作者側の強引な免罪符だと思ってます。
<追記>
作中善について足らない部分を補足。