機動戦士ガンダムOO第11話感想&備忘録「アレルヤ」
先回、先々回が神の「全知全能」のうち「全知」の部分の不完全性についての提示だとしたら、今回は「全知全能」のうちの「全能」の部分の不完全性についての提示。
人は神ではないから、「全ての子羊」を助ける事はできない無力さ、神たる身は「祝福されなかった子供達」を救ったりはしない冷酷さを描いていたように感じました。
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アレルヤ・ハプティズム
ソーマお嬢さんとの邂逅で「超兵機関」が存続している事を存続している事に気付いたアレルヤ君は選択を強いられる。「報告すべきか?」、「報告すべきでないか?」。答えは「同類を見捨てる事はできない」、前者。
では、どんな作戦プランを提案するか?「保護か?」、「一思いに殺すか?」。答えは出ない。
「保護」を選択しても、アレルヤ君も、ソレスタルビーイングも「全能」ではないから、改造された子供達を元に戻す事もできないし、ハレルヤ君が言うように、「戦闘用に改造された人間にどんな未来がある?」という答えに対して、仮にマスコミに「超兵機関」の存在をリークしても、「超兵」である事からは逃れられず、「一般人」との溝は埋めがたい。それは、実際に世界に放り出されたアレルヤ君には一番よく分かっている。
「戦闘用に改造された人間にどんな未来がある?そんなこと自分が一番良く分かってるだろう?え?ソレスタルビーイングのガンダムマイスターさんよ。」
結局、「救う為に殺す」という、アレルヤ君自身の「救いたい」という願いとは裏腹に、「殺す」事でしか助けられない、しかもそれすら偽善というジレンマの中で、「全能ではない事」が何度も何度も苛む。
「お前の優しさは偽善だ。優しいフリして
自分が満足したいだけなんだよ!」
アレルヤ君にとって、「ハレルヤ」という存在は、辛い事が起きた時に「逃避」の手段として機能する人格だと考えていいと思います。
だから、脳の改造という「逃避」したい状況に直面した為に「ハレルヤ」が生まれ、仲間を殺さないと生き残れない極限状態という「逃避」したい状況に直面した時に「ハレルヤ」に「引き金」を渡してしまった。
今回、嘗てハレルヤ君に渡してしまった「引き金」を、アレルヤ君自身が弾き直した事で、アレルヤ君が「逃げない」というスタンスを提示した一方で、アレルヤ君自身の「超兵機関」時代の記憶が白く塗りつぶされていく――という描写で「何か」を無くしてしまった事を提示し、その事をスメラギさんとの「酒」の描写で、スメラギさんと同じ「大人の判断」の世界に足を踏み込んだことを明確に提示した形で終了。
「なぜこんな苦いものを。」
「そのうちわかるわ、きっとね。」
アレルヤ君は「躊躇わないさ、僕はガンダムマイスターだ!」と、言っているんですが、楽になりたいだけならハレルヤ君に体を渡してしまえばいい。その上、躊躇が無く、戦闘技術も、超兵としての能力もハレルヤ君の方が上と、単純に「兵士」としてだけならハレルヤ君の方が適正はあるように見えるんですが、その辺りで、先々回から続いた「全知全能」の否定を通じて、ガンダムマイスターが「不完全な人間」でなければいけない理由が提示されていた様に感じました。
アレルヤ君と遂になりソーマお嬢さんも、「その為だけに存在を許されている」と、悲しい事を言う辺りで、アレルヤ君と同じテーマを共有している事が描写されていました。
「次の作戦ではミン中尉の――いえ、同志達の仇を!」
「作戦完遂に全力を尽くします。私はその為だけに存在を許されているのですから。」
ティエリア・アーデ
「アレルヤ・ハプティズム、そうか、彼は・・・。
人類というものは、人間というものは、ここまで愚かになれるのか。」
ティエリアさん、機械を持ちいて擬似的に「神の視点」を持っているキャラである事が判明。ティエリアさんらしいです。
でも、いくら「神の視点」を持っていても、それは先回否定されたように、「全知」を意味しないから、表層的にはアレルヤ君の事を理解しているようでいて、ティエリアさんはアレルヤ君の本質を理解出来ていないんですね。
「過去というものがあの男を歪ませているのなら、それは自らの手で払拭する必要がある。
それでこそ、ガンダムマイスターだ。」
「過去」がアレルヤ君を歪ませているから、「ソレスタルビーイング」の完璧な「ガンダムマイスター」になる為に「払拭」するのではなく、「過去」が今のアレルヤ君が「ソレスタルビーイング」の「ガンダムマイスター」として戦う理由であり、その「理由」と、「動機」が鬩ぎ合って、アレルヤ君が苦悩している事に全く気付いていないです。
という事で、ティエリアさんも「不完全」であるという事が一層提示された形です。スメラギさんに「八つ当たり」して、自分を正当化する辺りでもその辺が強調されていましたしね。
マリナ・イスマイール
「コーナー大使、貴方のそのお気持ちを貴方方の神に誓えますか?」
「誓えます。アザディスタンの未来を。貴方の神にも。」
コーナーさん、「あっちの神様」にも、「そっちの神様」にもどっちも「誓う」と、そもそも神に対しての「信仰」が無い事を提示。怖い人。
マリナさん、「信仰」について質問し、なおかつその答えがあれだったので、コーナーさんが危ない人だという事には感付いてるみたいですけど、ここで話を反故にしては元の木阿弥。果てしなく受け身なマリナさんは可愛いと思いました。
また、「信仰」を話題にしている辺りで、第九話で提示されたマリナさんが「救世主」を求めている危うさを再提示。
「この方が、アザディスタンを救ってくれる。」
マリナさんは「他力本願」に捕らわれて、「別の道を模索する」という事ができなくなっている人という描写が鮮明に。
http://d.hatena.ne.jp/AlfLaylawaLayla/20071202/1196568268
第五話で、「私にしか出来ないからよ。」と、格好良く「自力本願」的な端緒を見せたものの、アザディスタンを囲む現実は厳しくて、「他力本願」に日和ってしまってます。