いつだってささえるさ コードギアス反逆のルルーシュR2第15話感想&備忘録「TURN15 Cの世界」

 今話は、「黄昏の扉」の中で、ルルーシュがC.C.に告白(の一歩手前)をして、C.C.を取り戻すも、C.C.は記憶を失ってしまい、ユーフェミア、シャーリーに次いで最大の理解者だったC.C.を失い、同時に「ギアス」の正体、「(ギアスによる)王」の正体が仄めかされていました。

「そいつは俺の!俺の!」(ルルーシュランペルージ)

 「黄昏の扉」の外では、扇さんがヴィレッタさんに「罪(=嘘)」を告白し、罪を償うと贖罪者となり、身を賭してヴィレッタさんを守った扇さんを、ヴィレッタさんも自分の命を省みず助けて、事実上扇さんを許した形となり、罪を裁く断罪者から免罪者へ変わって、コードギアスの物語としての着地点を体現していました。
 それらを貫徹するのは、「意志を持つ『存在』は、自分以外の『他の人間』の存在を認め、その存在によって肯定される事によって初めて『人間』たりうる」という事であり、「お互いが意志を持っている以上、『嘘(=罪)』は生まれるが、許し合う事で『嘘(=罪)』は消えて『真実』となる」という事でした。
 だからこそ、皇帝が口にした「人はこの世界に一人しかいない。」という唯我論(または独我論)に捕らわれると、他の人間によって「自己」が確定出来なくなり、ルルーシュ、C.C.、そして恐らく皇帝、V.V.は「人間」でなくなっていき、なくなってしまったのです。

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 volume01 [DVD]

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本編感想

 今話で明らかになったC.C.のような存在、ここでは仮に「イド」と呼称しましょう。(理由は後で説明します)「イド」が「ギアス能力者」を生み出し、「イド」が「ギアス能力者」を「イド」とする事で「イド」は死ぬ事が出来ますが、なぜギアスを使いすぎると「イド」、即ち「人」でなくなるのでしょうか?
 上で「意志を持つ『存在』は、自分以外の『他の人間』の存在を認め、その存在によって肯定される事によって初めて『人間』たりうる」と書きましたが、「ギアス能力者」は当然ですが元々は人間です。彼らは「願い」を持っています。その「願い」を「強制」という属性で歪めて実現する力として形になったのが「ギアス」だと思われます。それは、C.C.が説明し、ルルーシュが悟り、言語化した事からも明らかでしょう。

「俺は知っているぞ、C.C.、お前のギアスを!本当の願いを!」(ルルーシュランペルージ)

 ここで、何故「ギアス」を使いすぎると「人」ではない「イド」になってしまうのでしょうか?に戻りますと、「ギアス」を使い続けると、「世界」が自分自身の「願い」によって醜く歪んでいきます。その結果、自分の都合の良いモノになってしまい、次第に「世界には自分一人しかいないのではないか?」という疑念に駆られていきます。
 ここでもう一度思い出して頂きたいのは、「意志を持つ『存在』は、自分以外の『他の人間』の存在を認め、その存在によって肯定される事によって初めて『人間』たりうる」という事。つまり、「ギアス」によって他人の「意志」が消し去られて自分の都合の良い世界になった結果、逆に他人の「意志」が認められない状態になり自分の「存在」が確定できなくなってしまうのです。
 つまり、「(ギアスによる)王」とは「ギアス」により世界をねじ曲げ、且つ「世界には自分しかいない」と認識する事によってもたらされる状態の事であり、その状態の形成と同時に「存在」が確定出来なくなっていく為に必然的に「孤独」になっていくのです。
 そこから、「ギアス能力者」は例外なく「イド」に惹かれる事は象徴的に解釈されます。例えばマオに対するC.C.(イド)、C.C.にとってのシスター(先代の「イド」)、そしてルルーシュにとってのC.C.。何故なら、「イド」だけは「ギアス」に左右されない「他人」でいてくれるので、つまり皮肉にも「自分の思う通りの世界」の中で「自分の思う通りにならない存在」によって、「存在」が同定され救われる事が理解出来ます。(さらに皮肉にも「イド」にとっても「ギアス能力者」によって「人間」と同定される事で「死」を以て「人間」に戻る事が出来るという意味でもあるのでしょうが。)
 これらの事から、「イド」とは「ギアス」の使いすぎで「孤独」になっていき、唯一「存在」を同定してくれた「イド」の裏切りによって決定的に「孤独」になった結果、「存在」が完全に砕け散り、形而上的に「人ではない存在」となり、この状態で「人」として生きようとしても、「化け物」だと他人から蔑まれ、利用され、そして「他人」は必ず死んでしまい、絶えず「存在」が不確定にされ、「人間」には決してなれません。つまり、「イド」とは「世界の摂理」から、「人間」という括りから完全に切り離された存在であり、その結果、所詮は「人間」から「意志」を奪って「他人」を「人間」から「ただの自分の一部」と変えてしまうに過ぎない「ギアス」は、既に「人間」ではない「イド」には通じないのだと思います。

 だから、「孤独」になっていくルルーシュは、自分を「ルルーシュ」だと同定してくれるナナリー、ユーフェミア、シャーリー、カレン、そしてC.C.を愛しいと思えるのです。因みに彼女たちには「ギアス」が効かない、或いはギアスに反する力を持っている事が共通しています。ナナリーには「嘘」を見破る力がありますし、ユーフェミアはギアスを破って自分の意志を取り戻し、シャーリーもまたギアスを乗り越えてルルーシュを好きだと言ってくれたのです。その点、現時点でルルーシュを信じ切れていない上に、ギアスが効かないと言ってもギアスが一度掛けられたからというだけのカレンさんはヒロインとしてはちょっと弱くて、今話でルルーシュに告白(の一歩手前)をされたC.C.には及びませんね。

 そしてC.C.もまた、自分を必要だと言ってくれたルルーシュの言葉に、ギアスで歪まされ、そして「イド」になって永遠に失ってしまったと思っていた「愛されたい」という「願い」が叶えられ、「私はまだ人間だった、人間でいられる」と、土壇場で「死」から帰ってきたのだと思います。まあ、額の「コード」が消えているので、既に「人間」に戻っているのだとは思いますが、皇子様の告白で「人間」に戻るなんて、C.C.は本当にヒロインの鑑だと思います。(笑)
 その前にC.C.はルルーシュ「イド」にしなかった時点で、既に「イド」の「定め」に打ち克っているので、なるべくして「人間」に戻ったとも言えるんですけど。

 とにもかくにも、視聴者に対するメッセージとしては、殺すだの殺さないだの、そんな「罪」まで到るものではなく、自分は他人によって自己同一化され、他人もまた然りなのだから、「世界」は自分の認識によって変えましょう。壊す必要なんてない。という事だと思います。

 ちなみに「イド」というのは「欲望」とか「願望」の源みたいな意味です。ここでは「願望」が化け物になるという意味で、某映画の「イドの怪物」に引っかけて使ってみました。
 繰り返しておきますが、「イド」は公式な名前ではありません。あしからず。

追記

 皇帝が作ろうとしている世界というのは、そういった唯我論(独我論)的な「世界で意志を持っているのは自分だけ」という皇帝の心の中の認識を世界に拡張させて、世界をシミュレーションゲームのような世界にする事だと思います。
 ゲームプレイヤーは常にブリタニア皇帝。黒のキング・ルルーシュ(実はブリタニア皇帝の息子)と、白のキング・シュナイゼルによる世界統一ゲームでもいいですし、ルルーシュが女の子達を攻略するゲームでもいいです。ちょっとふざけているような感じもしますが、ブリタニア皇帝が押し付けようとしているのは、まさにそういう世界なんじゃないかと思います。自分にだけは「真実」が全て分かっていて、自分以外の「人間」は「ゲームのキャラクター」に過ぎず、皇帝にとってはゲーム理論でいう所の「完全情報ゲーム」となり、「ゲームのキャラクター」にとっては「不完全情報ゲーム」となる、そんな世界を作り、皇帝はその「完全情報ゲーム」を支配する「神」になるという事なんじゃないかと思ってます。(外れても責任なんて取りませんが)

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次回予告

 コードギアス反逆のルルーシュR2第16話「TURN16 超合衆国決議第壱號」

おまけ

 気分ぶち壊しかもしれませんが、しおらしいC.C.は非常に、非常に可愛らしいと思いました!まさかこんなプレイが!ありえない破壊力!グハッ!!(バカ)
 C.C.を介抱!C.C.回復!C.C.の手料理!C.C.のご奉仕!いや、もうC.C.とルルーシュが扇さんとヴィレッタさんと同じような関係になるなんてとっても楽しみですね!(気分ぶち壊し)

コードギアス反逆のルルーシュ C.C.(シーツー)(1/8スケールPVC塗装済み完成品)

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 あっはっは、二次面接の実技試験でバカになった頭なのでもう文とか支離滅裂ですけど、気にしない気にしない。(投げやり)