フン!くだらんなあ〜〜。一対一の決闘なんてなあ〜〜〜〜っ。このシュナイゼルの目的はあくまでも「玉座」!あくまでも「神」になること!!スザクのような戦士になるつもりもなければ、ルルーシュのようなロマンチストでもない……。どんな手を使おうが……最終的に…勝てばよかろうなのだァァァァッ!! コードギアス反逆のルルーシュR2第20話感想&備忘録「TURN20 皇帝失格」

 「断罪者」たらんとして「罪」を「断罪」した人間達も、「断罪」する際に「罪」を犯しており、それによって今度は自分達が「断罪」され、「罪に押しつぶされている人間(=受罪者)」となってしまう―――、そんな「断罪者&受罪者」のやり方には必ず「絶望」が待っているという負の連鎖、行き詰まりを描きつつ、自分だけ「清廉潔白」の高みにいるシュナイゼルが誰にでも分かる形でさらなる「絶望」をもたらす作中悪として描かれた事で、シュナイゼルを筆頭とする「清廉潔白」と、ナナリーを筆頭とする「免罪者&贖罪者」とのコントラストを明確にし、引いては「免罪者&贖罪者」に「希望」を見出す為の話でした。

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 volume02 [DVD]

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 volume02 [DVD]

本編感想

シュナイゼルエル・ブリタニア

 やっぱり今回一番進展があったのはシュナイゼル

「人の本質とはね、何かに支配されたいということなんだよ。
民族、宗教、伝統、権威、ブリタニア皇帝はそれを演じねばならない。」(シュナイゼルエル・ブリタニア)
 
「殿下なら演じられるというのですか、権威を。」(ジノ・ヴァインベルグ)
 
「それが求められているなら、多分。」(シュナイゼルエル・ブリタニア)
 
「多分?」(コーネリア・リ・ブリタニア
 
「権威のもう一つの意味を知っているかい?」(シュナイゼルエル・ブリタニア)

 遂にシュナイゼルが本性を、野心を大胆にそして婉曲に現したワケですが、恐らくシュナイゼルの言う「権威のもう一つの意味」というのはいくつか候補はあるものの、意味する所は同じでしょう。
 私が思いつくのは以下の3つ。

    1. 日本語をベースに考えれば「権威者」という意味ですが、それは即ち自らがルールとなり、法を統べて、秩序を成す存在になると言うこと、つまりは「支配者」になるという事。
    2. 英語をベースに考えれば、多分「支配」という意味がそれに当たるのかな、よく分かりませんが。
    3. 字義的な捉え方ではなく、立場の違いで「もう一つの意味」を捉え直すなら、「権威となるまたは与える存在(=支配者)」と「権威を崇める存在(=被支配者)」の二つに分かれるという事であり、シュナイゼルは勿論その「支配者」の側に立つという事。

 正解は他にあるかもしれませんが、シュナイゼルという人間を解釈する分にはブレは生じないと思うので、気にしないでいいと思ってます。

 ところで、私がシュナイゼルという人間を一言で表すとしたら「罪を他人に背負わせて自分は全く背負おうとしない外道」とします。
 シュナイゼルは、極めて綺麗な存在です。「罪」を背負っていない。なぜなら、他人に上手く「罪」を背負わせて、自分だけ綺麗なままでいようとしているからです。(それ自体が彼の「罪」だと言えますが、それは追い追い誰かが指摘してくれるでしょう。)フレイヤがどんな結果をもたらすかを、ゼロへの「断罪」しか頭に無かったニーナ以上に、「戦術」、「戦略」を念頭に置いていたシュナイゼルは知悉していたのに、その「撃つ罪」をスザクに、「撃たせた罪」をルルーシュに背負わせる。皇帝暗殺では、「暗殺させる罪」をスザクに、「暗殺される罪」を皇帝に託けて自分は、その吐き気がする程に綺麗な大義名分を以て皇帝になろうとしている。
 つまり、「自分が犯した罪」に苦しむ「断罪者&受罪者」であるルルーシュやスザク、ニーナ達の側(皇帝はここに近い)でもなく、自分自身も「罪」を背負いながら誰かの「罪」を赦す「免罪者&贖罪者」であるナナリー達でもない、そもそも、「罪」というモノを全く背負わない数多の登場人物達の中で明らかに異質な「清廉潔白」な存在として位置づけられています。
 現在登場人物の多くが属している「断罪者&受罪者」に対し「清廉潔白」な存在は常に有利な立場に立ちますが、それは即ち「強者」による「支配」です。それに対して、ナナリー達は全く同じように「罪」を背負う同じ立場から相手を赦す事をしますが、どっちが良いか?と言われなくても後者の方が作中善として描かれています。

 この辺は、某中東発祥の世界宗教の「原罪」をひっくり返したモノなんでしょうね。
 人間はアダムとイブが犯した「罪」を引き継いでいるが(霊感商法かよ)、たった一人「罪」を背負わない筈の「救世主」が「罪」を代わりに背負うワケですが、シュナイゼルは、「罪」を背負わないまま、人々に「罪」を背負わせるだけ背負わせておくというような。

 早くナナリー帰ってきて欲しい。

ルルーシュランペルージ

ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる!お前達は今より、私の指示通りに動け!」(ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア

 ルルーシュは「(皇帝を裁く)断罪者」たらんとして「罪」を「断罪」しようとしていますが、そもそも「罪」の理由だったナナリーは消えてしまったし、もう一つの理由だったマリアンヌはルルーシュの幻想に過ぎず、息子や娘の愛に溢れた慈愛に満ちた存在ではなく(ルルーシュを殺そうとしたアーニャを止めたりと、愛しているとは思いますが)、ルルーシュの「断罪」の基盤はボロボロになっており行き詰まりつつあります。

 さて、今回ルルーシュはギアスを利用して「お前達は今より、私の指示通りに動け!」と、「駒」として扱ってましたが、これを今までしなかったのは「それぞれの意志」を否定する最低の作中悪そのものなので、主人公であり、救済されねばならないルルーシュがそれを無意識に避けている―――というような設定があるんでしょう。(多分)

枢木スザク

「しかし、貴方には二つの罪があります。
王たる責務を放棄した事。
ギアスに手を染めた事。」(枢木スザク)

 スザクも「(皇帝を裁く)断罪者」たらんとして「罪」を「断罪」しようとしていましたが、そもそも「罪」の理由をユーフェミアルルーシュ、ナナリーに求めており、極めて自己中心的である上に、シュタイン卿に「弱さこそが強さ」であり、今のスザクは弱くなったと言っておりスザクの選択は行き詰まっています。

「愚かな!お前の弱さこそが優しさという強さの裏付けであったものを!
規範無き正義などただの暴力!ならば、ここで死ぬが良い、枢木スザク!」(ビスマルク・ヴァルトシュタイン)

黒の騎士団

「黒の騎士団に、もうゼロは必要ない!」(扇要)

 扇さんを筆頭として、黒の騎士団も「(ゼロを裁く)断罪者」たらんとして「罪」を「断罪」しまして、その隠蔽として「自分たちがゼロだと認めない限りゼロはゼロではない」という論理が、神楽耶様と黎星刻という、ゼロを「断罪者」の色眼鏡で見ない存在にあっさりと看破され、逆に自分達が否定した「裏切り」を自分達が犯してしまったという「罪」を突き付けられて「受罪者」となり、黒の騎士団の選択も行き詰まりました。

 ただ、扇さんは今回、物語の確信に直結する発言をしているんですよね。

「そう、人は、みんなは、ゲームの駒じゃないんだ生きているんだよ!」(扇要)

 今までも書いてきたように「完全情報ゲーム」であるチェスの駒の動きは全ての情報が自分にも相手にも開示されているという、「嘘(=罪)」の否定というラグナレクにリンクしており、また、チェスは王を守る為に王によって使役される「自分の意志」を持たない存在であり帝政・王政の肯定にもなっており、それらを否定するという事は、「ブリタニア」から真の意味で独立する下準備が整いつつあることを示しています。つまり、扇さん達は、ルルーシュやスザクと同じように「断罪者&受罪者」という過程を経て、「免罪者&贖罪者」へと変わる過渡期にあり、その時にこそ、お互いを赦し合ってルルーシュと再び「仲間」となることができる、そういう事だと思います。
 だから、扇さんの言葉は、少し捉え方を変えるだけで非常に作中善に近いです。黒の騎士団には「ゼロ」なんか必要無くて、必要とされるのは「ルルーシュ」ですからね。

 それにしてもカレンお嬢さん、ゼロをはっきりと信じてあげられない上に、C.C.が求めていた「友達」の位置までマリアンヌに取られて何たる体たらく!もっと頑張りなさい!というワケで、まだ作中善の紅蓮聖天八極式にまだ乗って活躍できないし、同じく作中善であろうランスロットアルビオンもスザクにはまだ渡す事はできない、そういう事ですね。もうちょっとしたら、カレンお嬢さんもスザクも悩みを吹っ切ってそれぞれの機体に乗って活躍してくれると思ってはいます。

ブリタニア皇帝

 皇帝が出る行動は二つ。「人間じゃなくなってるから他人と隔絶されても気にしない」から、気にせずラグナレクを開始するのか(コードギアスのやり口は「〜なんてね!」みたいな感じなので、今日の時点で皇帝が動揺しているように見えても信用はできません)、「まだ人間だから他人と隔絶される事に恐怖と怒りを覚える」から、人間っぽい行動を見せるのか。

 ところで、今回ルルーシュが仕掛けた「殺す」方法は、「殺せない皇帝」を意味的に「殺す」為のものであり、何度も書いていますが、コードギアスでは他人がいないと自分の存在を同定できないので、その他人の存在を観測出来る「他人の意志」を根こそぎ奪ってしまうのは作中悪です。つまりは観測されなければ存在していないのと同じであり、人は人無しでは生きていけない事の裏返しなのです。

    1. 「意志を持つ『存在』は、自分以外の『他の人間』の存在を認め、その存在によって肯定される事によって初めて『人間』たりうる」
    2. 「お互いが意志を持っている以上、『嘘(=罪)』は生まれるが、許し合う事で『嘘(=罪)』は消えて『真実』となる」
コードギアス 反逆のルルーシュ R2 volume03 [DVD]

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 volume03 [DVD]

次回予告

 コードギアス反逆のルルーシュR2第21話「TURN21 ラグナレクの開始」

おまけ〜フレイヤと作品世界の関係性について〜

 今回はにべもない言い方をすればルルーシュが人生に絶望して「引きこもり」になったワケですが、フレイヤも、それを作った「引きこもり」のニーナの性格、及びコードギアスの物語の登場人物達の「悩みを抱え込んで苦悩する」という傾向を反映しているんですよね。
 核兵器は粒子の安定状態を破壊する事で得られる高エネルギーの(粒子の)「放出」によって膨大な熱量を生んで破壊力を得るワケで、その残りカスが「放射能(実は誤用なのですが)汚染」であるワケなのですが、フレイヤでそれが起こらなかったという事は、高エネルギーの放出が全く起こっていないという事です。
 つまり、フレイヤは球形のフィールド内の物質を「凝縮」させ、内側にベクトルが向かっており、外側にベクトルが向かっている核兵器とは全く「象徴的な意味」が違う兵器であり、それはコードギアスという物語に流れる「内向性」そのものであると言えると思います。