原作を知らない人だけにしか楽しめない「いばらの王-King of Thorn-」の見方

注:私は、原作の「いばらの王」は読みたいとは思ってますが、読まずに映画を見に行って、そして楽しませてもらったので、「原作ファンで映画の出来に文句がある方」や、「原作知らないけど映画の出来に文句がある方」とは、話が合わないと思うので、現時点でそういったものを求められても困るので悪しからず。尤も、映画の内容を忘れた頃に原作を読んでもう一度映画を読んだら違う感想を持つかもしれませんが。



さて、突然ですが、簡単な心理テストをしましょう。

問1

貴方は、耐えきれない程に過酷な現実に遭遇した時にどうしますか?
自分の考えに近い方を選んで下さい。

  1. 立ち向かう
  2. 状況が改善するのを待つ

選んでいただけましたか?

では、心理テストの結果です。

貴方のその「過酷な現実」の原因は貴方自身です。
貴方の大切な人、子供、伴侶、恋人、親友は貴方の所為で苦しんでいます。
貴方は酷い人間です。貴方さえいなければみんなが幸せでいられたのに、貴方さえいなければ。

はい、ご名答、これは心理テストなどではありません。 
お怒りかもしれませんが、もう一度自分の選んだ選択肢を思い出してください。

  1. 立ち向かう
  2. 状況が改善するのを待つ

貴方が選んだ選択肢、貴方は今もそれで、本当に良いのですね?

いばらの王-King of Thorn-感想

 この物語を端的な言葉で表すなら、

「『変わるまい』と内側に籠もろうとする自分を、いつの間にか生まれていた「変わろうとする」自分が打ち破る」物語

この一言に尽きます。
先ず、話を簡単にする為に、後天性細胞硬化症候群A.C.I.S通称メドゥーサや、死亡した筈のアリス・ロスノフスキとアリスの名前を冠する中枢システム、不思議な生物ラルー、シズクの実験中のVGCに合衆国が行ったであろう掃討作戦の存在は忘れて、カスミ・イシキとシズク・イシキの二人だけに着目します。
二人は、「片方が持っていない部分を片方が持っている」という初期状態でした。そしてそれはずっと続きます。時系列順にしてみましょう。

カスミ・イシキ シズク・イシキ
自分を庇って怪我を負ったシズクに対する、そして恐らく両親の死に対する引け目 カスミを守る為に強い姉であろうとした
犠牲になるべきは自分 「だから、シズク――」 願いの無い所に奇蹟は起きない。希望は捨てない。「カスミ、生きて――」
(死亡) トラウマが発現
シズクの「夢」であるオルタナティブとして、コールドスリープカプセルの中で目を醒ます(「いばら姫」は目を醒ました) カスミの「夢」を守る為に自らの「夢」を「いばらの王」として具現化(「いばら姫」は眠りについた)
「死」に直面し、「生きる為」に「現実」に立ち向かい始める いばら姫と同様に「死の呪い(メドゥーサによる外部的な意味と自らの夢の両義)」を受けて、「死なない為」に「夢」に逃げ続ける
シズクの生存と発症を知りシズクを助ける為(そして双子の直感故)にシズクの元へ辿り着こうとする カスミを脱出させた後で、自分は空に逃げて「夢」を現実にしようとする
「悪夢」を打ち破ろうとする(「夢の王子」を否定し、で姫自ら「現実の王子」になる)「私は、私は、絶対シズクを助けて、この悪夢を終わらせる!!」 「夢」を守ろうとする(「夢の王子」を肯定し、「現実の王子」の存在を排斥しようとし、姫自ら「眠れる森」を維持しようとする) 「守ろうとしているのよ。私は貴方の望む私であり続け、貴方は私の望む貴方であり続ける。」
「小学生の時の事故」というトラウマを自ら打ち破る 「崖の上での事故」というトラウマを払拭して貰う(それまでの関係と逆転している)

つまり、カスミ・イシキ(途中からはシズク・イシキのオルタナティブ)とカスミ・イシキは、共に「いばら姫」であり、「いばら姫」の異なる二面性を担っている事が分かります。

「そもそも、いばら姫は目覚めたかったのか?」(マルコ・オーエン)
 
「どういう意味?」(キャサリンターナー
 
「姫は眠ったままの方が幸せだったんじゃないのか?」(マルコ・オーエン)
荊は姫を捕らえてはいるが、見方を変えれば安全を保証してくれている。
歳は取らないし、王子様に会いたいのなら夢の中で王子様に会えばいい。」(マルコ・オーエン)
 
「姫は何を願ってどんな夢を見ていたというの?」(キャサリンターナー
 
「その夢が永遠に続くことを願ったんじゃないか。
夢の中でなら傷付かず、何度でもリセット出来る。それ以上のモノが現実には有るか?
直面している状況が過酷なら尚更だ。
夢は常に現実によって裏切られる。王子も例外じゃない、王子は呪いを解いてはくれるかもしれないが、その先の幸せは保証してくれない。
夢の中の王子は何度でも修正出来るが、現実の王子は別次元の存在だ。」(マルコ・オーエン)
 
「そうね、現実の王子様はね。」(キャサリンターナー

このようにカスミ・イシキとシズク・イシキは双子というガジェットを使って世界観を目に見える形で説明してくれていますが、他の登場人物についても、双子でないというだけで、「トラウマの克服」に「夢から覚める」意味が付与されている点は変わらず、コールドスリープ被験者の主要人物のうち、イタリアの上院議員アレッサンドロ・ペッチノ以外*1は、自らトラウマに立ち向かい、「夢から覚め」ています。
さて、「いばら姫」の二面性がカスミ・イシキとシズク・イシキの二人に投射されていて、「現実に目覚める事を望むいばら姫(=正当のいばら姫)」が目覚めた時点で、「夢見る事を望むいばら姫(=非正当のいばら姫)」は打破され、目覚めさせられることは決定していたといえますが、その事について、マルコ・オーエンがメタ的な言及をしています。

「いばら姫は、結局起こされる運命にあるのさ。」(マルコ・オーエン)
 
「そのような比喩は理解の範疇に無いわ。」(アリス=ローラ・オーエン)
 
「人ってのは、物事を何かの物語に準えた時から、その結末に向かって突き進むものなのさ。」(マルコ・オーエン)
 
「不合理だわ。」(アリス=ローラ・オーエン)
 
「俺もそう思う。」(マルコ・オーエン)

それは即ちシズク・イシキが「いばら姫」という題材を自らの象徴として選択した時点で、「いばら姫」の解釈の両義性と同様、二面性を備えていた事を意味し、実際、シズク・イシキは、カスミ・イシキが目を醒ました時点で、(数々の手は打っておいたとはいえ)カスミ・イシキを死の危機に落としています。それは一方で「夢見る事を望むいばら姫(=非正当のいばら姫)」として、カスミ・イシキを城から、自分から遠ざける意味があり、同時に、「現実に目覚める事を望むいばら姫(=正当のいばら姫)」として、カスミ・イシキを強くする試練を与えたと解釈出来ます。*2

暴走したシズク・イシキ 嘗てのシズク・イシキ
「夢見る事を望むいばら姫(=非正当のいばら姫)」 「現実に目覚める事を望むいばら姫(=正当のいばら姫)」
カスミ・イシキを城から、自分から遠ざけようとしてモンスターを放った カスミ・イシキを強くする試練としてモンスターを放った

そして、シズク・イシキから「現実に目覚める事を望むいばら姫(=正当のいばら姫)」として生み出されたカスミ・イシキは、かつてシズク・イシキが望んだカスミ・イシキを遥かに強く変わっていき、「夢見る事を望むいばら姫(=非正当のいばら姫)」の目を醒まさせます。また、創造者であるシズク・カスミの予想を超えて、カスミ・イシキが強く生きようとする事で、カスミ・イシキは「偽物のカスミ・イシキ」から「本物のカスミ・イシキ」になる事と、トラウマを完全に克服し切った事を意味し、「現実に目覚める事を望むいばら姫(=正当のいばら姫)」であるカスミ・イシキと、「夢見る事を望むいばら姫(=非正当のいばら姫)」であるシズク・イシキは、夢から醒める事になります。

このように、カスミ・イシキとシズク・イシキに着目すると、物語の構造が私の中では美しく整って見えるのですが、みなさんはどうでしたか?

批判について

Twitterで「いばらの王」で検索してみると、多くは以下の二点の感想に集約されます。

  1. 「(原作既読者)原作の改悪」
  2. 「(原作未読者)理解不能

前者はそもそも私自身が原作を知らないのでどうしようもありませんが、後者については、私も思う所はあるので私の思った事を纏めてみましょう。
まず、モチーフが「メドゥーサ(登場人物の多くは「メデューサ」と発音してましたけど)」はギリシャ神話で最も有名なのに、他にギリシャ神話の要素が見当たらず、その後出て来るアリスは「不思議の国/鏡の国のアリス」から来ている筈なのに、ギリシャ神話とアリスシリーズを結びつける要素が見当たらなかったりします。
また、アイヴァン・コラル・ヴェガが口にした「進化を促進する存在」としての「メドゥーサ」の設定が、恐らく新人類である筈の「オルタナティブ」に生かされているのは良いのですが、寿命が無いのとメドゥーサウィルスに感染しない以外で、「どんな点で新人類なのか」が出て来ない。(空想を具現化しうるのはオルタナティブを生んだ宿主でしか描写されてないですし。)
あとは、人間だった頃のアリス自身はこのぐらいの謎の開示で十分だとして、そのアリスと「システムのアリス」の関係や、「システムのアリス」自体については殆ど説明がありませんでした。

つまり、SF要素の伏線があまり回収されていないように思えました。
でも、それって、そんなに重要ですか?
気になるなら原作買えばいいだけの話だし、原作見なくても、カスミ・イシキとシズク・イシキの二人に関しては十分に謎は解けると思うので、視聴に支障は無いと思います。

作品鑑賞なんて「楽しめた者勝ち」です。

オペラ見て眠いと思う人もいますが、同じオペラを見て目が話せないという人もいるように、「楽しめた者勝ち」です。

つまらないと思われた方は、面白いと思えるまで頑張るか、諦めるかした方が良いと思います。

ですが、折角お金を払って見に行くんだから、楽しめた方がいいと思いますよ、私はね。

いばらの王 (1) (Beam comix)

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後書き

こんにちは、かなり久々の記事になります、Sunithaです。
京都シネマで「いばらの王-King of Thorn-」を見てきたので、短いですが感想書いてみました。
十二番目の魔女の祝福がシズクによって伝えられたりする思わせぶりなギミックや、カスミのピンチに必ず駆けつけるマルコ・オーエンさんが格好良すぎたり、最終戦でカスミがマルコさんに「アミーガ」、つまり台頭の友人(戦友)と認められたシーンに燃えたりと、謎解き要素もあアクションも人間模様もたっぷり楽しませて貰いました。

「結局出たトコ勝負だな?アミーガ。」(マルコ・オーエン)
 
「はい。」(カスミ・イシキ)

今の女の子は、王子様がいなければ自分で王子様になっちゃうんだもんなぁ…。すごい、マジすごい…。(結論)

「いばらの王−King of Thorn−」の映画詳細、映画館情報はこちら >>

*1:原作ではもう少し出番も有ったのでしょうがしょうがない

*2:もう一つ、シズク・イシキがカスミ・イシキを態々危機的状況に瀕させる理由として少なくない「憎悪」があったのかもしれませんが、映画ではそんな描写は一度も出ませんでしたし、原作ではそういう描写があるのかもしれませんが、今回はそこには踏み込みませんから知りません。